見出し画像

十三日目 令和元年五月十一日 十四時頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。十三日目 令和元年五月十一日 十四時頃。武蔵國。品川宿から日本橋へ。

【上段左】高輪神社。なぜこれで「たかなわ」と読むか。昔、この辺りの高いところに縄手道(なわてみち、畦道のこと)があり、「高縄手(たかなわて)」と呼ばれていた。それが次第に「高縄」が「高輪」に変化したらしい。

【上段中】旧街道を疾走するゴーカート軍団。車体には「任天堂は無関係」とあり。

【上段右、中段左】高輪大木戸跡。日本橋に向かって見た様子と振り返った様子。日本鉄道史上最も愚劣と言われる駅名「高輪ゲートウェイ」は、この大木戸跡に因む。

【中段中】御田八幡神社(みたはちまんじんじゃ)和銅二年(709)より、東国鎮護の神を祀る

【中段右】元和キリシタン遺跡徳川家光は、元和九年(1653)、この地で五十人のキリシタンを処刑した。横の大きな岩石は何なのか分からない。処刑場の象徴か。

【下段左】現代の旧街道。左は国道1号線へ行く都道301号線。「東海道は国道1号線」という感覚があるが、厳密には違う。

【下段中】江戸開城西郷南洲 勝海舟会見之地

【下段右】旧街道。国道15号線。第一京浜。銀座まで2km、日本橋まであと4km。

次の膝栗毛
前の膝栗毛

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?