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八日目 令和元年五月六日 十五時頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。八日目 令和元年五月六日 十五時頃。駿河國 吉原宿。

 平家越えの碑源平合戦 富士川の戦いの場所。道標などがあるが、大正年間に建てられたもの。それよりもいい感じの「梅本食堂」。昼時で営業していたならば、入っていた。廃業していそう。

 左富士の髭題目と馬頭観音。髭題目とは「南妙法蓮華経」の文字が髭のように伸びているのでそう呼ばれる。髭が「法の光」を表している。「法」の字には髭を伸ばさない

 左富士のバス停。京都方面に向かって撮影している。東海道で京都に上る時は、富士山は常に右側に見えるのだが、この場所は街道の左側に見えるのでこの名がある。曇っていて見えない。

 前年の膝栗毛の際の写真。この時はよく晴れていたので富士山がくっきり見えた。工場や電線のせいで、趣きがかなり削がれてしまっている。儲かっている工場ならば、もう少し配慮があってもいいと思う。

【下段右】往時の様子を伝える広重の浮世絵。

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