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五日目 令和元年五月三日 八時半頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。五日目 令和元年五月三日 八時半頃。遠江國 掛川宿。

【上段左】 間(あい)の原川宿。間の宿は正式の宿場ではなかった(五十三次に入らない)。宿泊は禁じられていた。有松宿も間であった。

【上段中】金西寺の境内にあったちょっと変わった玉垣。コンクリート製か。

【上段右】田植えをしたばかりの田んぼと松並木。まさに日本の原風景。ところがこれは強力な画像処理ソフトウエアで電線を消した写真。元々は見出しの写真。ひどすぎる電線。

【中段左】「是より北岡津區 東 掛川町約一里 西 袋井町約一里」と掘られた自然石道標。書体、「約一里」という書き方から昭和二十年代終戦直後に立てられたような気がする。

【中段中、右】いかにも街道といった松と道。右の写真は、カーブミラーや電線電柱が鬱陶しいのでソフトウェアで消したもの。

【下段左】曽我鶴酒造

【下段中】長い軒の店。蔵元の羽振りの良さが伺える

【下段右】宗心寺の門前に建てられている、日蓮聖人六百遠忌の髭題目石柱の台座。明治十四年十月十三日。盃状穴がある。左右の穴の深さが非対称なので、石工などの職人が細工したものではない。明治以降の石製建造物には見られないので珍しい。明治初期にはまだこの盃状穴を掘る風習が残っていたのか。

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