見出し画像

四日目 令和元年五月二日 七時半頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。四日目 令和元年五月二日 七時半頃。三河國 源吾坂。

【上段左】街道から少し離れたところの立岩(丸印)が見える。立岩に関してはココが詳しい。この立岩は、日本列島の中央構造線の一部で海洋プレートから大陸プレートに付け加えられた「付加体」が隆起したものと考えられているらしい。

【上段右】東海道新幹線の上り、山側の窓(E席)から見た立岩

【中段左】街道からの撮影地点と立岩との位置関係。左の赤い目印が撮影場所。青い矢印は旧街道筋。赤丸が立岩の位置。

【中段右】天明六年(1786)に発行された「東海木曾/両道中懐宝図鑑」における立岩の解説(白丸)

立岩山上 木岩天明神社あり 八え(盈)敷乃鏡石あり

と解説されている。「八え(盈)敷」とは畳八重敷という意味か。とにかく広く大きいということだろう。

右側の文は

両方乃並松 見ものなり 二川まての間家なし

当時、松並木が立派だったようだ。浮世絵にもその様子が描かれている。現在、松は一本も残っていない。当時のままなのは、この辺りの街道沿いには家も何もないと言うところだけだ。

 この先2kmぐらい景色も畑ばかりで全くつまらない。ただひたすら歩くだけである。街道歩きの人々の間では「心の折れる道」の一つと言われている。たまたまこの辺りで出会った同好の士とそんな話をした。

 その同好の士は、私の先を江戸方面に向かって歩いていた。二本の杖をついて少しゆっくり目に歩いていたので、その人との距離がどんどん縮まっていった。追い抜きざまに挨拶をしたら、快く返してくれたので話し掛けた。

 歳は三十半ばぐらい。一年ぐらい前にひどい交通事故(自転車対自動車)に遭って、足を痛めたようだ。調子を回復させるために東海道歩きを始めたとのことだった。住まいは東京で実家の岡崎に歩いて行こうとしたら、箱根で無理をしてどうしても歩けなくなり電車で岡崎まで帰って、今度は歩いて東京に戻る途中だと言う。仕事は電機関連の技術者らしい。

 話をしながら歩いたので、「心の折れる道」をあっという間に通り過ぎることができた。

【下段左】何もない道を抜けると最初に出てくるのが、この喫茶店去年はここで休憩をした。店の女主人に大変良くしてもらったので、来年も歩くことがあったら寄りますと約束をした。

 ところが店の名前が変わっている。しかもその入れ替わった店は営業をしていないようだ。営業時間が消されている。前の喫茶店が潰れて、次の喫茶店も潰れてしまったようだ。

【下段右】去年の喫茶店の様子。屋号は「ギャビィ」。フランス映画「望郷」の女主人公ギャビィから。

次の膝栗毛
前の膝栗毛


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?