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1989年発売のエッセイ集にみる、日本の「避妊」「中絶」の歴史~30年間変わってない…

この記事に続きです。

日本の名随筆77”産”

”出産”がテーマのエッセイ集、『日本の名随筆77”産”』は、出産だけでなく、避妊・中絶・堕胎といったテーマにもページを割いています。

「ヒトがヒトを生む」富岡多恵子

『産』に収録されたエッセイの中で一番長く、全17ページを収録しています。他が6~7ページなので、文章量で3倍近い。

富岡多恵子さんは詩人であり、エッセイストであり、フェミニストとしても名を知られた方のようです。

中絶について

結婚した男女の生む子供の数が平均ふたりだということは、既婚者のほどんとが否認しているか中絶の体験者だといえる。(p154)
日本では非常に多くの中絶が行われているにも関わらず、「中絶」というのは、「危険」「罪の意識」「生命軽視」とセットにして考えられていて、それを「事実」として冷静に考えられることが少い。(p154)

要約すると、日本では「中絶」は”社会的理由”で語られることが多い。女性の気持ちもあり、情緒的に語られるのは仕方ないが、医学的に、科学的に語られるようになってほしい、ということが書き連ねられています。

「中絶」は現代の社会では必要悪なのに、生命殺しとして差別され、女性に「うしろめたさ」や体に悪いという漠然とした不安を増殖させ、常に弾圧する状況はおかしい、と語っています。

避妊

「中絶」によって女性は苦しめられているのに、「避妊」についても、”100%の確実性のないものしか公認されていない”現状を語ります。

女性が自ら選べるうえに、確実性の高い「経口避妊薬(ピル)」が認可されていないことを嘆きます。

1983年12月号の『婦人公論』に医学博士の奈良林祥さんが「避妊の未開発国ニッポンの現状」という記事を寄稿し、経口避妊薬やIUD(子宮内避妊具)の未公認について嘆いていたらしいのです。孫引きですが引用すると

「日本を除く、経口避妊薬を使うことがごく当たりまえのことになっている国ぐにでは、もはや、経口避妊薬は、副作用の発生の心配がほとんどないように改良された、ロードースのピル、更にはミニピルという、女性の体への影響をより少なくするように考慮されたものが使われている時代だというのに」、われわれの国ではその「使用が許可されていないという事実」、「よその国では、ホルモンの含有量が、ロードースやミニピルにくらべて多いという理由で、もはや使用の対象外となり、とうの昔にオクラにされたような経口避妊薬が経口避妊薬としてわれわれの国ではまだまかり通っているということは、なんとも女性を馬鹿にした話とお思いにならないか。」

これが1983年の文章です。こないだ見たかと思った…。

※こないだ見たツイート

社会を維持していくのに「避妊」が必要といっても、それを生物として習慣化するのは生物の歴史では革命的出来事であろう。また、ヒトの集団社会の中で、「避妊」の確実性が高く、副作用のないピルが助成の自由になるとすれば、「子どもを産む者」であった女が子供を産むか生まぬかの選択の自由を手にすることになるから、これもまた革命的出来事になる。この革命こそ、じつはヒトがおそれているものではないか。

(中略)

女性用ピルの出現は、男性中心で動いている社会集団の中では革命的出来事であり、また革命になりうるのである。おそらくこのことは、女性よりもむしろ男性の方が気づいている。

そんな流れの中で、「中ピ連」なる団体を紹介します。さらっと。

「中ピ連」

妊娠中絶用のピルの認可については、1970年に運動があったことを知りました。榎美沙子さんという薬剤師による「中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)」という運動です。

ウーマンリブ運動のひとつとして挙げられています。説明は、こちらの記事に詳しいです。→「中ピ連のメディア活用とその功罪

「中ピ連」の結成は1972年(昭和47年)で、活動の末に選挙への立候補も行ったようですが、全員落選し、解党したのが1977年(昭和52年)。

70年代の育児書ブーム」の記事では『女の子の躾け方』や『親の顔が見たい』といった本を紹介しました。それらが売れた理由の1つに、「中ピ連」の活発な活動もあったのかも知れません。

他にも収録された「中絶」「避妊」に関するエッセイ

上野千鶴子さんが1989年に書いたエッセイで"日本は中絶天国と言われる国"と表現しています。

産婦人科医師の菊田昇さんのエッセイも収録されています。

この方は70年代に「赤ちゃんあっせん事件」と呼ばれる事件を起こし、現在の特別養子縁組制度の制定に大きな影響を与えた方のようです。
そういった問題提議を経てもなお、認可されてない避妊用ピル…。

1970年代には上述した「全ピ連」の結成や、菊田医師の赤ちゃんあっせん事件だけでなく、「コインロッカーベイビー」事件、コインロッカーに赤ちゃんを捨てる事件が1973年に多発し、社会問題として歴史に名を残しています。

なんでこんなに時間が掛かったのか、不思議な気持ちになります。

女性にとって神聖な場であった出産

1984年に立松和平さん(男性作家)が書いたエッセイは、(この頃はじまった?)男性の立ち合い出産についてでした。「産屋」に触れていた立松さんには抵抗感が強い新習慣のようでした。女性にとって神聖な場である出産に男性が立ち入るのは良くない、という論。

こういう抵抗感は分からなくもないです。妊娠・出産といった「女性の歴史」を考える際、民俗学は避けて通れない、重要な視点だとも思います。「歴史を公正に評価する」視点・論点も必要です。

民俗学的に見た「出産」のはなし

民俗学的なエッセイ、明治期以前のお産についても何本か収録されています。

出産による”ケガレ”を「気枯れ」と表していて、なるほどと。今は「穢れ」という字を当てることが多いけど、「気枯れ」の方が私は好き。産屋も忌屋も、女性が身体を休める為に使っていた側面はありますし。

立松和平さんの話は”穢れ”に対応して”神聖視”している筈ですが、産屋に近づけなかった男の子の勘違いの可能性もあります。日本語って結構、いい加減なので。

出産は町や集落を上げてのお祝いだったから、集落からお餅を差し入れて。そのお餅を出産の祝いに来た人に振舞ったり、母親が食べて精をつけたらしい。これは「同じ火で作った料理をみんなで食べる」といった要素もあったようです。

「母乳が出ない時はお餅を食べると良い」て話は誤りですが、民俗学的な話としては、こんな習慣があったようです。

2019年の「日本の避妊」事情

先日、フランス在住の高崎順子さんが書いた、フランスの避妊について書いた記事が話題になりました。

『産』をきっかけに、今の避妊事情を調べてみましたが、コンドームやピル以外にも、様々なものが開発されています。

日本が後進国であることを認めざるを得ません。

この、「#なんでないの。」のサイトを読むと勉強になります。私も知っているつもりでしたが、無知でした。反省。

アフターピルについては、ジェネリック医薬品が登場し、安価になるそうです。現在だと、処方してもらうにも一苦労なうえに、保険外なので15000円程度かかるらしい…。

男性の確実な避妊法「パイプカット」

個人的には女性だけでなく、男性も主体的に避妊した方が良いとは考えています。

昨日読んだビートたけしさんの『「さみしさ」の研究』という本に、松方弘樹さんはパイプカットしてオネエチャンと遊んでいた…て記述があって。なるほどな、男前やな、と思いました。

パイプカットはイメージが悪いようですが、男根を切るといっても精管だけですし、自然な方法だと私は考えます。特に、結婚して子どもも生まれて。これ以上必要ないと思うのであれば、やってしまった方が安心だと思います。本人にも相手にも優しい方法だと思います。

この増田を読んで、なるほどと思いました。

おしまい

『日本の名随筆77”産”』の感想は以上です。

1989年発売の随筆集で、入手は困難ですが、図書館にあると思いますので、興味が湧いたら読んでみてください。

それでは~


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