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カレン・ラッセル《帰還兵》 〜ベヴァリーの孤独、トワイライトゾーンから持ち帰る透明な希望

ーここにあるのは21世紀の孤独。

噛み付けば、味わえる。

萩尾望都

「帰還兵」がおさめられた短編集『レモン畑の吸血鬼』の帯に、上のコメントがあるらしい。ベヴァリーのことを思った。ベヴァリーの孤独のことを。

ベヴァリーはマッサージ師である。家庭の事情で大学に行かずに資格を取り、仕事に就く。腕があり、勤務態度も真面目で、自分には向いている選択だったと思っている。国の政策で、戦争で傷を負った兵士を無料で治療するプログラムが導入され、ベヴァリーはデレク・ザイガーという二十五歳の元兵士を担当する。彼は戦友を爆発物により間近で失った記憶に苦しめられており、彼の背中には亡くなった戦友の記念碑としての大きな風景の刺青がある。その刺青はベヴァリーがその筋肉へアプローチするごとに魔術的に変化し、その変化は彼の中のトラウマとなる記憶に連動する。ザイガーからつらい記憶が消え、回復したかのように見えるが…

帰還兵のトラウマもの、と思って読んでいくと、ベヴァリーの個人的な事情にはっとする。恵まれたとは言えない家庭の事情、両親の病気、選びようのなかった将来、それを捉える姿勢。決して後ろ向きではなく知性も感性も達者、それだからこそなのか、ある種の孤独もある。仕事終わりに行きつけているファミリーレストランでのシーン、ベヴァリーの歳をとることや人生の飲み込み方への語りの描写が秀逸だ。


ー似たような境遇の他人や友人に、彼女の人生の立場は自ら選び取ったものだと伝えようと、それなりにたくさんの時間を割いてきた。「そういうものは一つも必要じゃなかったの。ほら、真剣な、長続きした恋人はね。子どももいない、清々するわ。患者たちだけで手一杯。」

だけどもうだいぶ年月が過ぎた……。そうベヴァリーは考える。そして何であろうと彼女の人生に足りないものから小突かれはじめると、あまりの恐ろしさに、彼女はその先まで考え続けることができない。彼女が誰かにとって本当に重要だった頃から、おそらく、もう何十年にもなる。


ザイガーとの関係がベヴァリーの中で深まり、トラウマの記憶が転移していく。十代の少女のように、患者との距離感を測り間違えて、なんでもその身に抱えてしまい、健康を崩してゆくベヴァリー。記憶と筋肉とが密接に結びつく魔術的な描写。幻想でなく確かな手応えで変わっていくザイガー。記憶の改竄と心の回復について考え、今起きていることが正しいのかどうか内省し続けるベヴァリー。

ザイガーの過去と傷、また、それに関わる周囲の人々の持つ傷口が現在進行形で広がっていく描写には惹きつけられる。死んだ戦友の母、妹、チームだった仲間たち。治療を進めるうち、その中でベヴァリーの傷も立ち上がってくる。姉からの電話。母を介護していた時の、ベヴァリーと姉との記憶の差異。

これはひどく恐ろしいことだ。人は生きていくのに重過ぎる記憶を、忘れたり改竄したりして、そのことに自覚がない。心を守るために仕方ないという理由があるとはいえ、その改竄に、同じ事実に立ち合ったものは傷つく。自己の存在を否定されたように感じるだろう。時計は戻らず、払った犠牲は返らず、自覚のない相手に証明は難しい。自分自身の記憶も、確かだという証拠はない。

ベヴァリーは危うくも、その穴に落ち込まない。ザイガーとの間に起きた、まるで医学と魔術の間の特殊なゾーンにいたかのような経験、ザイガーに無距離で迫り、己の心身を投じて癒しについて考え続けた時間が、ベヴァリーを支えたのだろう。

ベヴァリーは働き続ける。考え続ける。結論が出ずとも、起きたことに対処し続ける自信がある。自分の仕事をキャリア・デイの特別ゲストとして子どもたちに伝える。ザイガーのことを忘れずに願う。希望する。彼女のいうところの大胆な想像の中で、背負うことのできる物語と真実の物語、その両方を彼自身が見つけることを。

読んで、打ちのめされた。この物語の全てをわたしは読み解けたとは思えない。けれど、この物語は、わたしがわたしを回復させていく時の大きな手助けになるだろうことがわかる。カレン・ラッセルはほんとうに凄い。81年生まれの作家で、そう歳が離れているわけではないのに、その知識量の差に、わたしが読むには少し難しく感じることがよくある。ラッセルの使う言葉の全てをわたしは理解できていないけれど、物語の力に圧倒されて、そう、まさに打ちのめされることがある。

マッサージに関する筋肉や骨、人体への知識や、心理状態に関するトラウマや記憶や回復過程についての知識、戦争後の兵士とそのセラピストが陥る状態。専門家や詳しい人が読めば、ラッセルがベースとして用いた知識にたくさんの用語が当てはめられるだろう。それをまとめて知ることができる文章を読んでみたい。

そして専門とまでわからなくても、物語の中で起きている魔法のことならわかる。自分自身の日々の経験、ニュース、今まで読んできた物語を手掛かりに。こういう小説を芯から理解するために、日常を生きることも教養を身につけることも続けていかなければと思う。この打ちのめされる感覚は、読み手としての最高の喜びだから。




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