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死は果たして本当に不幸なのか

昨日梨食べました。
この世の食べ物の中で一番好きなのが梨です。

食べながら最期に食べたい物の話になって、 まさかの旦那は辛ラーメン鷹の爪トッピング、ねぎ大盛り。いやいや、死にかけの人にそんなもん出したらとどめ刺しにいってると思われるで!いややわ!看取る前提で言ってるけど(笑)

私は当然梨なんですけど、そこから連想して

てことは秋か~
秋の心地よい気候のなか死ぬのええなあ~

それならちょうど、誕生日過ぎてから死ぬ方がなんかお得感あるし19日以降やなあ~

そや、おじいちゃんの命日で、お大師さんの縁日でもある9/21に死んだらちょうど最高やな~

とか考えてました。 

死のことをご不幸っていったりするけど、死は不幸ではないと個人的には思っています。
むしろ死を意識して生きることでめちゃくちゃ人生充実すると思います。

この前もあるドラマみてて、そんなこと思いました。そのドラマではバイバイってノールックで別れたあと、相手が突然の死を迎えるんですけど、その人との最期が結局そんな呆気ないものになってしまったというものでした。

それみてからは、いってらっしゃいとか挨拶交わすときいつ最期になってもいいようにちゃんと目合わすようにしてます!(笑)ちっさいことやけど。まさに死を意識することで生きることを丁寧にできた事例です。

かといって、今まで楽しいこととかいろいろあったのに、いきなり死ぬことで、それらがすべて帳消しになるわけじゃないねんからその時だけを重要視するのも何か違うかなと思います。

そんなん言い出したら、生まれてきた瞬間もっと引きづってひたすら幸せじゃないとおかしいやん。

死の瞬間も生きてきた中の1コマにすぎないと思います。

だから結局どう生きるか、過程が大事なんでしょうね~!

梨食べたことで、まさかこんな思考に行き着くとは自分でも思ってなかったです(笑)
最後までお付き合い頂きありがとうございました🙌

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