見出し画像

人の言葉遣いより自分の言葉遣いを正すことの方が圧倒的に重要な理由

言葉遣いが良い−悪い

言葉が綺麗−汚い

話がうまい−下手

人が言葉を使うときには、言葉の内容以外にも様々な情報が相手に伝わります。
その人の人柄や雰囲気、価値観、バックグラウンドが色濃く現れます。

しかしながら、他人のそういった部分に気づくことは多い一方で、"あなた自身の言葉遣い"を振り返ったことはあるでしょうか。

プレゼンやスピーチをしなければならない時に見直すことはあると思いますが、日常の言動こそ最も重要なのです。

今日はそんな話をしていきます。

人を成長させることが環境ならば成長を止めるのも環境

僕の記事でもよく書いていますが、環境によって人は変化します。
もちろん意志の力も大切ですが、それよりも何よりも環境が重要です。

名門校を例に、勝ち続ける組織を環境から考察もしました。


環境とは、自分の周りを取り囲むもの全てです。

それが施設的なものであり、自然でもあり、人でもあり、衛生環境でもあり、と。

一括りにどの環境が良い、悪いとは言えませんが、ともかく自分の周りを取り巻くもの全てが環境になります。

ということは、自分を取り巻く言葉も環境の要因の一つとなるわけです。
考えてみれば当たり前です。

母国語はなぜ無意識のうちに話せるようになるのでしょうか。
それは生まれてからその言葉に囲まれて生きているからです。

方言や言葉遣いも同じです。

昔はギャル語、今であれば若者言葉みたいなことも言われますが、それぞれのコミュニティによって広がる言葉が違うからこそ、その環境に身を置く人の言葉も変わるのです。

人生で最も聞く言葉って誰の言葉?

ではここからが本題です。

あなたが人生で最も耳にする言葉は誰の言葉でしょうか。

そうです。

自分の言葉

です。

はい、ものすごく当たり前のことを書いている自覚はあります、

ただ、言葉にすると意外とハッとするのではないでしょうか。

自分が発した言葉は音となり、自分の耳に入ってきます。

ものすごく当たり前のことかもしれません。
当たり前すぎて意識したことがない人が大半かもしれません。

しかし、これを気にかける人とそうでない人では圧倒的に人間形成が変わってきます。

脳は主語認識をしない

なぜ、自分の言葉がそれほどまでに重要なのでしょうか。

その理由は、

脳は主語認識をしない

からです。

もう少し厳密に書くと、“耳から入ってくる言葉に対して”主語認識をしないということになります。

つまり、汚い言葉を人から言われようが、自分で使おうが脳は同じように認識するということです。

例えば街中で

「は、あのおじさんめっちゃ邪魔なんだけど、うざっ」

みたいな言葉をポロっと口から出す女子高生を見たことはありませんか?

しかし、この場合その人の脳は“邪魔”や“うざっ”という言葉が誰に向けれられているか(=主語は誰なのか)を脳は理解できません。

だからこそ、自分に向けて使われたと判断してしまいます。

少し口が悪く、日常生活のなかで汚い言葉を使う人は、使えば使うほど自分にもその言葉を突き刺していることになります。

自分に対して邪魔と言っているようなものなのです

相手に聞こえていなければ、自分にだけダメージを与えていることになります。
ものすごくもったいないことをしているといつも思います。

ただこの考えは逆をとってみれば素晴らしく、いつもポジティブな言葉を使っている人はポジティブな言葉で満たされた環境で生きることになります。

“ありがとう”を使えば自分も感謝されたような状態になり、“素晴らしい”という言葉を用いれば自分が称賛されたような状態になります。

「批判」と「非難」

では実際の社会に目を向けてみましょう。
ポジティブな言葉で溢れているでしょうか。

そんなことはないと思います。

なぜならネガティブな事象に出会わずに生活することが不可能だからです。

生きていれば必ずネガティブな局面にぶつかります。
それは日常の小さなことかもしれませんし、人生を左右することかもしれません。

そのネガティブに対処するためには、ネガティブな用語を使わなければなりません。というか、ポジティブな用語は使えません。

例えばポイ捨てしている人を見つけて

「あの人ポイ捨てしてる。街は汚れるし、法律違反だ。これは良くない。」と考えるのが普通でしょう。

これをポジティブな言葉で表せなんて不可能です。
もし表せたらスーパーポジティブか支離滅裂な考えかの二択です。

そういった時に、

「批判」と「非難」を混同しない

ことが大切になってきます。

これらの言葉には

批判:物事に検討を加えて、判定・評価すること。
非難:人の欠点や過失などを取り上げて責めること。

という違いがあります。
(goo国語辞書参照)

僕は両者に、ネガティブな言葉を「事象」に当てるのか、「人」に当てるのかという違いがあると考えています。

罪を憎んで人を憎まずといったところでしょうか。

先ほどのポイ捨ての例で考えてみましょう。

例ではどちらかと言えば批判をしています。
だからこそ「街が汚れる、法律違反」といった人間性に向けてではない言葉が並びます。

これを非難してみると


「なんであの人ポイ捨てしてるんだ。頭おかしいのか?それとも常識ない人間?どちらにせよヤバいやつだな」


みたいな感じでしょうか。

この言葉遣いでは「頭おかしい、常識ない、ヤバいやつ」といった明らかにポイ捨てとは関係ない個人攻撃が入っています。

そして例のごとくこの言葉を自分も受けています。

もちろん、人間誰しも人を嫌いになったり、非難したくなる時もあります。
僕もそれは否定しません。

ただ、わざわざ言葉にする必要はないということです。
非難したくなるような相手のために自分の環境まで悪くする必要はありません。

ものすごくもったいないです。

まとめ

さて、今回もまとめていきます。

① 人にとって重要な環境の大きな要素として「自分の言葉」がある
② ポジティブな言葉遣いで自分の環境をよくする
③ ネガティブな言葉を使う時は「批判」をする

あなたの周りにも人を惹きつける魅力のある人がいると思いますが、その人をよく観察してみてください。

おそらく、その人の言葉遣いは感謝や人を褒める言葉で溢れているのではないでしょうか。

類は友を呼ぶではないですが、自分自身がポジティブな言葉を使っていれば、自然とそういった言葉に魅力を感じる人が集まってきます。

そしてそういった人の集団内では、さらに活発にポジティブな言葉が交わされるようになります。

言葉という環境の大事な要素の一つを変化させるためにも、まずは自分から前向きな言葉を使っていくことが大切なんだと思います。

読んでいただきありがとうございます!僕の経験がみなさんの生活を少しでも前に進めることができれば最高です!サポートしていただいたことでできた経験はもちろんnoteに投稿します!