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車椅子で役者をやるもの。(seen7 また試練)

「人工肛門」。まさかこんな大事になるとは想像もしてなかった。腹痛の酷い版くらいにしか考えてなかった。後で医師から「後30分来るのが遅れてたら死んでましたよ」と伝えられた。これで死に直面したのは2回目。なんなんだよ俺は。考えようではそれでも死ななかったのだから良かったのか。兎に角、死ななかったのだ。

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少し落ち着いてからはその不思議な「肛門」との付き合い方に向き合った。これに関しては不思議と不快感はなかった。ただ立位でも大変なこいつの処置に下肢障害の俺はかなりの苦戦を強いられた。人前では笑っていたがやはり大変だった。座った状態での処置。処置に失敗したら最悪だった。でもその処置より大変でショックだったのは回復程度次第では一生付けて生活しなければいけなくなると告げられた事だった。車椅子生活に慣れた頃に次は人工肛門。なんなんだよ、マジで。そればかり考える毎日。それでも笑って過ごした。もう笑うしかなかったからだ。心配する人の顔をこれ以上見たくなかった。だからいつも笑ってた。なんてことないよといつも周りに言ってた。大変じゃない訳がないのに。そんな中で幼馴染みから見舞いが届いた。

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「まだ死ぬな」

死なねーよばか。死なねーけど、ちょっと泣いた。

そして腹に刺さってる管が抜けペニスの管も抜け「人工肛門」はついたまま、閉鎖されるか分からないまま退院した。職場には既に休職願いを出していたので自宅療養となった。ここからがまた大変だった。人工肛門つけて仕事する気持ちの整理と物理的な障害を洗い出した。なんとかしないと。焦りだけが毎日続いた。しかしここでまたの生命力というか、悪運というか、自分も医師も驚く回復を見せ3ヶ月後に人工肛門閉鎖する事になった。

人工肛門閉鎖の為の再入院。

閉鎖手術は成功。術後なかなか屁や便が出ずの苦労はあったが順調に2週間後には退院。だが閉鎖後の方が実は大変だと医師から告げられた。

排便コントロールがうまくいかない障害が残る可能性。

実はこの人工肛門を付ける事になったとき、大腸を14センチ切除していた。その為、通常の人より排便コントロールが難しくなるというのだ。退院したはよいが、仕事を続ける自信が一気になくなった。立位の方でも大変なコントロールを車椅子の自分だと先ず便意がきたら間に合わない。ただでさえ身障者トイレなんてそうあるものではない。ましてやズボンを下ろす際、便器に移動する際には必ず力を入れなければならない。退院してから不安しかなかった。完全に落ちた。今の仕事を続ける自信が完全に消失してしまった。

そして俺はある結論を出した。




車椅子の役者、演出家として活動していく事で観る側だけでなく演る側のバリアも崩していきたい。活動にご支援の程宜しくお願い致します‼️