見出し画像

【第20回】 "宮沢賢治"のマンダラ宇宙

前回の記事では、このシリーズの手始めとして、"俳句"を題材にその"コトバの世界"をマンダラで表現してみました。

今回は、俳句よりももう少し長めの"文"にチャレンジしてみましょう。

お約束:コトバの宇宙の法則

と、その前に、ここで今一度、この"コトバの世界/宇宙"(マンダラ世界/宇宙)で扱っている"コトバ"とはどのようなものなのか、みなさんと一緒に確認しておきましょう。

[ 法則① ]
マンダラ宇宙のコトバは「意味 = 対象 = 事物」を"一体"として表現する。

[ 法則② ]
マンダラ宇宙のコトバは「字音 ∈ 単語 ∈ 文」の構造をもって表現される。

コトバの宇宙の2大法則

1. 題材を選ぶ

今回のお題は「"宮沢賢治"のマンダラ宇宙」ということで、宮沢賢治の代表作品として広く親しまれている詩「雨ニモマケズ」を取り上げてみます。

以下、オリジナル(遺品の手帳から見つかった)に近い原文です。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

宮沢賢治「雨ニモマケズ」

2. "文"を"単語"と"字音"に分けてみる

では、前回と同様に、以下のコトバの法則に従って、この"文""単語""字音"に分けて、さらに、"単語"「動詞」「名詞」の2つに分類してみましょう。

コトバの宇宙の法則②:  コトバがもつ構造
「字音 ∈ 単語 ∈ 文」

この際、あとでマンダラにしやすいように、"単語"は修飾語(副詞や形容詞)を伴った語句や複合語などある程度まとまった長さで分けてみるとよいでしょう。
例)"丈夫ナカラダ", "病気ノコドモ", "シヅカニワラッテヰル", "ヨクミキキシワカリ", "オロオロアルキ", "野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萓ブキノ小屋", など。

文: (上記参照)
単語(動詞): マケズ, マケヌ, モチ, ナク, 瞋ラズ, シヅカニワラッテヰル, タベ, カンジョウニ入レズ, ヨクミキキシワカリ, ワスレズ, ヰテ, 行ッテ, 看病シテヤリ, 負ヒ, イヒ, ナミダヲナガシ, オロオロアルキ, ヨバレ, ホメラレモセズ, クニモサレズ,  ナリタイ
単語(名詞): 雨, 風, 雪, 夏ノ暑サ, 丈夫ナカラダ, 慾, イツモ,  一日, 玄米四合, 味噌, 少シノ野菜, アラユルコト, ジブン, 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萓ブキノ小屋, 東, 病気ノコドモ, 西, ツカレタ母, ソノ稲ノ朿, 南, 死ニサウナ人, コハガラナクテモイ, 北, ケンクヮヤソショウ, ツマラナイ, ヤメロ, ヒドリノトキ, サムサノナツ, ミンナ, デクノボート, サウイフモノ, ワタシ
字音: (声に出して音の響きを感じとってみてください)

3. "文"に示される"行為"の関係を明らかにする

「行為のマンダラ」(Action MANDALA) 要素配置図
> コトバの宇宙で遊ぶための道具

次に、今回も上図の配置に合わせて「行為のマンダラ」(Action MANDALA)をつくってみたいのですが、さて、今回はどの"動詞"を中心に選んだらよいでしょう?

やっぱり、この"文"(詩)は「雨ニモマケズ」として広く知られているくらいだから"マケズ"にしますか?

もちろん、それでも「行為のマンダラ」はつくれるのですが、この "文" (詩)全体を通して賢治が"一番伝えたかったこと(行為)"は果たして、"雨に負けない"ことだったのでしょうか?

ちょっと違うような感じがしますよね。
賢治が"雨に負けない"ことを願っていたのなら、傘をさせばいいじゃないか。以上。

そんな感じでツッコミ入れながら、他の"動詞"も当たっていくと、どこか一つツッコミの入れようのない"力強い動詞"が見つかるはずです。

そう、一番最後に現れる"動詞"「ナリタイ/ナル」ですね。

「だれが」「なにを」「どうする」

では、誰がどう「ナリタイ」のでしょうか。
答えはこちらです。
"サウイフモノニワタシハナリタイ"

では、ここまで集めた情報で一旦「行為のマンダラ」(Action MANDALA)をまとめてみます。

では、この「行為のマンダラ」(Action MANDALA)の残りの要素(いつ、どこで、だれと、どうやって、なぜ、どうなる)について考えてみましょう。

「いつ」「どこで」「だれと」

「いつ」については、この"文"(詩)が賢治の願望だとすると、その時すぐにこの願いが叶ってほしかったのかもしれませんし、これは一生かけても成し遂げたいと思っていたのかもしれませんね。もしかしたら今生では無理でも、生まれ変わって、二生、三生かけてでも、と思っていたのかもしれません。
そういう"意味"も含めて、「いつ」の要素は、「私(賢治)の人生において」としてみましょう。

「どこで」については、賢治の出身地は岩手県の花巻なのですが、以下のネット情報から読み取って、彼のこの願いを叶えるにふさわしい場所は、架空の理想郷である「イーハトーヴ」のモチーフとなった「郷里の岩手県」であると考えられそうです。

作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーヴ(Ihatov、イーハトヴやイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。

Wikipedia[宮沢賢治]

「だれと」については、この"理想郷イーハトーヴ"から想像を膨らませて、「この地で暮らす人々と一緒に」(願いを叶えたい)としてみます。

ここで一旦、「行為のマンダラ」(Action MANDALA)に情報を入れて整理してみましょう。

「どうやって」

次に、「どうやって」("サウイフモノニワタシハナリタイ"という願いを叶えるのか)ですが、まずはこの「サウイフモノ」とはどういう"モノ"("者")なのでしょうか。ここで少しこの情報を整理してみましょう。

今回の"文"(詩)にはたくさんの"動詞"があり、その最後の最後で極めつけの"動詞"である「ナリタイ」が見つかったわけですが、では、それまでの"動詞"がどのような行為役割を果たしていたのかを一つずつ読み取ってみましょう。もちろん、解釈はみなさんの自由です。

雨に負けない
風に負けない
雪にも夏の暑さにも負けない(自然環境の変化に順応する)
丈夫な身体を持つ(いつも健康でいる)
欲がない
決して怒らない
いつも静かに笑ってる(いつも穏やかな心持ちでいる)
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べる(足るを知る)
あらゆることに自分を勘定に入れない(エゴがない)
よく見聞きして解る
そして忘れない(周りのことに気を配る)
野原の松の林の蔭の小さな茅葺きの小屋に居る(質素に暮らす)
東に病気の子供がいれば行って看病する
西に疲れた母があれば行って(代わりに)その稲の朿を負う(助ける)
南に死にそうな人がいれば行って怖くないという(励ます)
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろという(仲裁する)
(東西南北どこへでも駆けつける)

日照りのときは涙を流し(一緒に悲しむ, 同情する)
寒い夏はオロオロと歩く(人間の無力さを実感する)
みんなにデクノボー(役立たず)と呼ばれる(そんなの気にしない)
褒められない(そんな必要はない, 求めてない)
苦にされない(人に迷惑をかけない)
サウイフモノニワタシハナリタイ

さあ、いかがでしょう。
賢治が理想としていた"サウイフモノ"の特徴が見えてきましたね。

「行為のマンダラ」の要素を「知識のマンダラ」で表現する

ここで、この"サウイフモノ"の特徴をマンダラにしてみましょう。
マンダラのテンプレートは「知識のマンダラ」(Concept MANDALA)を使います。配置は以下のとおりです。

「知識のマンダラ」(Concept MANDALA)の配置フォーマット
”aであり,bであり,cであり…..、そうした"事物"をXと呼ぶ。”
[サウイフモノ]とは
知識のマンダラ(Concept MANDALA)

こうしてみると、"サウイフモノ"は、まるで仏さんみたいな人ですね。

そうなんです。

賢治が理想としていたのは、まさに仏さんなんです。

その証拠が、この"文"(詩)の一番最後に登場する6体の仏さんと、その中心に書かれた「南無妙法蓮華経」(お題目)にあります。

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

※ お題目を中心に「如来/仏」2体と「菩薩」4体が配置されている

実は、この最後の部分は"法華経の世界観/宇宙観"をあらわした「曼荼羅」そのものなのです。
その曼荼羅の原型がこちらです。

話は長くなりましたが、そういうわけで、「どうやって」については、「仏様の力を借りて(法華経の実践によって)」ということにします。

「なぜ」と「どうなる」

最後に、「なぜ」「どうなる」についてですが、なぜ賢治はこの法華経の教えに帰依し、理想郷である「イーハトーヴ」を実現したかったのか、それがこの「なぜ(起点)」と、その目的であるところの「どうなる(着点)」になるのではないでしょうか。

もちろんこの真実は今となっては誰にもわかりませんが、賢治が著した「農民芸術概論綱要」にその発端となる想いを読み取ることができそうです。

(農民芸術の興隆)
……何故われらの芸術がいま起らねばならないか……

曾(か)つてわれらの師父(しふ)たちは乏しいながら可成(かなり)楽しく生きてゐ(い)た
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然(しか)も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然(しか)もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若(もし)くは美を独占し販(ひさぐ)るものである
われらに購(あがな)ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔(いさぎよ)く楽しい創造がある
都人(みやこびと)よ 来(きた)ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容(い)れよ

宮沢賢治「農民芸術概論綱要」農民芸術の興隆

この文面から当時(大正から昭和初期)の日本の社会の様子が伺えますが、さて、今私たちが暮らしているこの令和の時代になって、一体なにが変わったのでしょうね。

そんな議論はさておき、「行為のマンダラ」の要素である「なぜ」(行為の起点)は、この作品から賢治の痛切な想いを汲み取って、「宗教と芸術の堕落」としましょう。
そして、その願いの着点(行為の目的/方向)である「どうなる」の要素は「理想郷「イーハドーヴ」の実現に一歩近づく」としましょう。

これで、「行為のマンダラ」(Action MANDALA)が完成です。
お疲れ様でした!

「行為のマンダラ」(Action MANDALA)
[サウイフモノ]とは
知識のマンダラ(Concept MANDALA)

4. 賢治の理想郷「イーハトーヴ」を具現化してみよう!

もちろん、もうすでに賢治はこの世にはいませんし、賢治が夢見た理想郷「イーハトーヴ」は未だどこにも存在していません。私の知る限り。

しかし、もし、今あなたがその理想郷を実現したいと望み願いさえすれば、いつかきっとその夢が"かたち"となって姿を現してきます。
これが、マンダラ宇宙=コトバの宇宙なのです。

では、誰に何をどうやって"望む"のか、"願う"のか?

神様に祈る?お金持ちに頼む?政治家に期待する?偉い人がなんとかしてくれる?AIが解決してくれる?

現実がそんな世界だったらいいですね。
そんな願望がうまくいかないことは小学生でもわかってます。
そこに足りないもの、不可欠なものは、そう、”あなた”です。

そこで、ここでも先人たちが遺してくれた"曼荼羅の智慧"を使いましょう。

これは、第18回の記事で紹介した「願望のマンダラ」(Wish MANDALA)です。このマンダラを使って、100年前に賢治が夢見た理想郷「イーハトーヴ」"現実化した姿"を、ぜひ皆さんそれぞれの心のなかに描いてみてください。こちらのワークは記事を改めてゆっくりとやりましょう。

「願望のマンダラ」(Wish MANDALA)ワークシート

5. AIよ、このマンダラを読み取ってみろ!

最後に、参考まで、今回作成たこの「行為のマンダラ」(Action MANDALA)「知識のマンダラ」(Concept MANDALA)をそれぞれAI(ChatGPT)に読み取らせてみた結果をご紹介します。

--- ChatGPT:「行為のマンダラ」(Action MANDALA) 読み取り結果 ---
「宮沢賢治」は、郷里の岩手県で生まれ育ち、この地で一緒に暮らす人々と深い繋がりを持っていました。彼は自然と共に育ち、その自然環境が彼の文学に大きな影響を与えました。賢治は、この美しい土地で育まれたことに誇りを持ち、郷土愛を強く感じていました。

彼の作品には、宗教と芸術の堕落に対する深い懸念が表れています。賢治は、宗教的な要素を多くの作品に取り入れ、仏様の力を借りて法華経の実践を通じて、理想郷「イーハトーヴ」の実現に一歩近づこうとしました。これは、彼が人類に平和と幸福をもたらす理想の社会を追求した証です。

宮沢賢治自身は、自身の人生においても「ワタシハ」という存在と向き合い、自己探求を行いました。彼は詩や物語を通じて、人々に自己発見と内省を促しました。そのため、彼の作品は深い思考と哲学的な洞察を含んでおり、多くの読者に影響を与えました。

総括すると、宮沢賢治は郷里の岩手県で育ち、この地で一緒に暮らす人々との絆を大切にしました。彼は宗教と芸術の堕落に懸念を抱き、理想郷「イーハトーヴ」の実現に向けて努力しました。そして、自己探求と哲学的な思考を通じて、彼の人生と作品に深い意味を持たせました。

ChatGPTが生成した「行為のマンダラ」の説明文

--- ChatGPT:「知識のマンダラ」(Concept MANDALA) 読み取り結果 ---
「サウイフモノ(そういう者)」は、世間からは褒められることなく役立たずと思われている人です。彼らは自然の中で人間の無力さを感じながらもそれに負けず、人のためには苦労を厭わない人たちです。彼らは人の悲しみや苦しみを共感できるし、健康で丈夫な身体を持っています。

一方で、彼らは欲がなく、エゴがなく、怒らず、いつも笑顔で過ごしています。彼らは贅沢をせず、自然の中で質素に暮らし、世間のことをよく観察し、理解して忘れない賢い人たちなのです。

「サウイフモノ」は、社会的な評価や物質的な成功を求めることなく、自分自身と調和し、他人と共感することを大切にします。彼らは物事を単純化し、生活を簡素化し、欲望を抑えて、豊かな内面の充実感を追求します。彼らは自然と共に生き、その中で人間の限界を感じながらも、自分自身を高めようと努力します。このような人々は、社会において目立つことは少ないかもしれませんが、その存在は社会全体に良い影響を与え、真の価値を持つ「サウイフモノ」として尊敬されるべきです。

ChatGPTが生成した「知識のマンダラ」の説明文

….. 恐れ入りました。

今回の題材はいかがでしたか?
直接作品には現れてこない情報や情景を、その作品の観察者である「私」の視点からその"意味"を探ってみると、一段とマンダラ(コトバ)の奥行きと広がりが立体的に見えてきたのではないでしょうか。

次回は、小説にチャレンジしてみたいと思います。お楽しみに!


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?