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まもなく半年、コロナの中船出した私の今

横浜に居る時からお世話になっているコミュニティー「ライフデザインラボ」にて、上記のテーマで私の近況報告をしました。(2020.09.05)
zoomでの開催だったのですが、私は仕事だった為、レポートにまとめて提出しました。
それをこのnote.にも書き残しておきます。

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みなさんこんにちは。
真鶴に引っ越して来て「まもなく半年。」と、テーマをいただいて、時間の流れに気付きました。
海や空の透明度が増し、咲く花々の色のトーンが下がっているのを見て、季節の移り変わりを観じている今日この頃です。

さてさて、コロナの中、船出した私の半年を振り返ってみようと思います。

1.初めての横浜市民ではない体験
生まれてからずっと横浜市内にしか住んで来なかった私が、生まれて初めて横浜の地を離れました。
「一生横浜市民でいる。」と思っていたのに、転機は突然やって来るものです。
去年一年かけて今住んでいる家の片付けをしていましたが、その時でさえ「真鶴に定住する。」という考えはありませんでした。
「片付けをしていたら、真鶴に住まう方へ運ばれて行った。」という感じです。
要するにこれは「運命」なんだと思っています。

2.会社の社長になってみた
真鶴へ来るにあたって、夫は横浜で営んでいた会社を畳みました。
そして「新たに真鶴で何かをやっていこう!」と会社を立ち上げました。
資金は私が出したので、私が社長になりました。
別に法人化しなくてもいいのですが、
途中で放り投げない様に(?)、末長く続ける為に、私が腹を括る為に、法人化する事に合意しました。
会社を立ち上げる為には順序の様なものがあるみたいですがが、私たちはまず外枠から作ってみました。

3.緊急事態宣言中に楽しんだセルフリノベと暮らしを作るネットワーク構築
コロナで世間の動きが鈍っていた中、とうとう身動き出来ない状況がやって来ました。
会社を立ち上げ、次のステップへ進もうと思っていたのに、足踏み状態となりました。
動けないならしょうがないし、気持ちまで不安にロックダウンされるのも嫌だったので、
前からやってみたかった「セルフリノベーション(DIY)」にトライしました。
壁をぶち抜いたり、床に仕掛けを施したり、壁のペンキ塗りをしたり・・・。
顔を合わすのは家族だけとういう状況になったので、家族で(主に夫と)手仕事を存分に楽しむ時間が取れました。
また合間には、町中(まちなか)や町周辺の探検をし、
買い物の場を探したり、実際に買い物をし、どの商店には何が売っているのかを把握しながら、
暮らしのネットワーク構築に勤しみました。
お陰様で、身体を使う心地良さや自ら開拓する精神を養う事が出来ました。

4.学校へ行きはじめた中学の娘
転入した娘は、横浜では不登校だったり特別教室へ通っていたりしていました。
「真鶴に来たらどうなるのだろう?」と心配はしていましたが、
コロナのお陰で、
ゆっくりと暮らしを整える時間が出来たし、家族みんなで真鶴での生活リズムをつくれたので、
新たなスタートを切るのに無理のない形となりました。
さらには、休校中に先生と話しをする時間も生まれたお陰で、先生と私の距離が縮まり、
「先生に頼れるところは思いっきって全部頼る事にしよう!」と、気持ちが軽くなったからか、
今では、友達と登校したり、教室で授業を受けたり、部活に仮入部したり、娘は毎日学校へ通う事となりました。

5.アルバイトはじめました。
緊急事態宣言が解除され、レストランのアルバイトがはじまりした。
これまた、アルバイトをするなんて全く思ってもいませんでしたが、ご縁がご縁を呼びお手伝いをする運びとなったのです。
「私に出来るのかな?」と不安ではありましたが、始めてみたらとても心地よくマイペースに仕事をさせていただけているので、
今では、蒸し風呂の厨房の中でも存分に仕事を楽しめています。
繁盛期のお盆には、苦手なホール(接客)のお仕事にもチャレンジし、労働の有り難みを味わっています。

6.はじめの一歩は整体院として開業
コロナ禍、ひとまず世間の様子を伺いながら、
『私たちは何をやっていけばいいのか?』
水面下で右往左往していました。
当初は、クラフトビール醸造所、クラフトビアのカフェバーを目論んでいました。
醸造所をやる為に、役場で相談したり、
飲食店をやる為に、保健所で相談したり、
素敵な空間を作る為に、建築士や大工と相談したり、
様々な方々に協力をお願いしていました。
しかし、スムーズに物事が進んでいかず、なかなか形にならない事に、私はひとり苛立ち、不安になり、落ち込みました。
駄菓子菓子、
「これは、不安に引っ張られて、よくない方向へ行ってしまうパターンだ!」と気付き、
グルグルしている思考を全てなかった事にし、改めて
『私はどうしたいのか?』
と自身に問う事にしたのです。
真鶴へ来てからの数ヶ月、心身ともにとても充実していた事を振り返り、
私が大切にしていきたいのは「暮らし」なのだと気付きました。
『「暮らし」を壊さないで、このままの「暮らし」の延長上に「仕事」をつくる』
と問いの答えが還って来ました。
「暮らし」と「仕事」をカチッと分けないで、グラデーションを楽しむには今あるものを生かせばいいと思い、
そのままの今の私たちが持っているものを生かして、整体院を開業する事にしました。
なかなか進まなかった状態が、意思決定する事で好転し、スムーズに物事が進む様になりました。
あっという間に工事が完了し、7/28無事に観音整体ラボをオープンする事ができました。

7.町での交流が始まる
事業の方向性が決まったら、再びご縁が巡って来る様になり、
テレビ東京昼メシ旅
湯河原新聞
真鶴出版Facebook
に登場しました。
メディアに出た事で、町の人たちに知れ渡り、町の中に私たち家族の存在が広がりました。
そして、毎月末日曜日に開催されるマルシェ「真鶴なぶら市」に観音整体ラボで出店し、メディアやチラシで私たちの事を知ってくれた人と、イベントを通して直接出会える様になりました。
実際に顔を合わせ、声をかけてもらえる事がとても嬉しくて、
「私の喜びここにある」
と認識できました。
** 私のままで、私に今あるものを生かし、人と交流し、そこにお金の交流も加わり、お金という物質の上に、私が大切にしている「思想」を乗せて、世界を巡り旅をする(遊ぶ)。**
「暮らし」を軸に「仕事」を生み、その全てが「遊び」になると考えると
「経済活動」が物凄くワクワクするものになりました。

8.交流から協同が生まれる
人との交流が始まると、今度は協同が誕生するという機会に恵まれはじめました。
まず、真鶴町のエステサロンと観音整体ラボと、お互いの店舗の推しアイテムを掛け合わせた、ワークショップが生まれました。
次に、ライフデザインラボ仲間のsumiさんが営むブランド<xsix> (クロスシークロス)と私が推している「ヘンプ」をテーマにした観音整体ラボオリジナル麻マスクが生まれました。
更には、真鶴町に誕生したばかりの移動書店と今月末頃に何かをする予定でいます。(現在準備中)
特に「商談」という様な事はせず、自然発生的にこの様なご縁が結ばれました。
気張らず、飾らず、自然体のまま、この様な協同活動が生まれたのは、とても有り難く思います。
こんなに協同活動が安産ならば、もっともっと産み続けていけそうだし、産み続けて行きたいと思いました。

以上
半年の間に私に起こった事はこんな感じです。

この半年を真鶴で過ごしてみて観じたのは、「暮らし」の重要性です。
「暮らし」のある場が、『私の還る場所』なはずなのに、いつの間にかそれを忘れてしまっていた様に思いました。
大人になって住む場所を決める時は、いつも仕事場を基準としていました。
通勤に便利な所や、仕事がたくさんありそうな所。とか・・・。

「暮らし」ってそもそも、『心身が安らげている状態』を生み出す場であると思うのです。
「
緊張から開放されてリラックスしているあるがままの素の状態。」

そんな身体で居られる場こそが「暮らし」なのだと思いました。
その中で人は、自身を育み、自身の根っこを張り広げ、それが土台となり、自己を確立させていくのだと思うのです。

その様な重要な場である「暮らし」をまずしっかりと整えた事で、自分自身も整い、家族も整ったのだと思います。
整った事で、自身の内側にある大切なモノに気付きやすくなったり、
感受性が戻り、新たなご縁を受け取る事が出来たり、
自分軸が蘇り、人と主体的に関われる様になり、交流を広げていけたのだと思いました。

よって、「暮らし」を疎かにせず、丁寧に大切にしていく事は、人生にとても素晴らしい影響を与えるのだと思いました。

この真鶴暮らしの発見を、もっと多くの人に伝えていけたらと思います。

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