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鬼滅の刃に学ぶ 〜刀鍛冶の里へ行く道のり〜
単行本12巻
刀鍛冶の里編にて、
里の隠され方、里への向かい方が説明される。
ざっくり言うと
案内役におんぶリレーされながら連れて行かれる。その間 耳栓と目隠し(鼻がきく者は鼻栓も)を付けられる。案内役となる者も里へのルートを実は知らない。毎回変わる一定区間を、毎回変わる案内鴉に案内されるがまま進み、次の案内役に背負って来た者を受け渡す。それを繰り返すと辿り着く。
とまあ 複雑な方法で(説明むず)、
刀鍛冶の里への道のりは
誰にも知られぬよう隠されているそうだ。
ここで疑問。
道のり分かりにくいのは確かだけど、
ある程度の方角とか、規則性は
(案内役なら特に)わかっちゃうんじゃないの?
なんか分かりそう…バレそう…危うい…
でも何百年もバレてないらしい…
そういうもんか…うーん……。
ひとしきり疑ったところで、
この 道のりの隠し方と似ているものを見つけた。
それは
人の記憶と理解力。
何度経験を積んだことでも
大きな流れの一部をやっただけでは
何も役に立てない。
何度教えられても
事柄の全体像・輪郭がぼやけては
頭に入ってこない。
仕事や、日常会話でも、
そんな経験をしている人は多いのでは?
この経験を思い出せば
里へ辿り着けないのも頷ける。
はたと。
何度繰り返したとしても、いつも同じことばかりやったり、逆にいつも違うこと…刺激を求めるばかりで本質を無視したり、周囲への感覚を閉ざし続けていたら、何百年経っても 何も身に付かないんじゃね?
( ゚д゚)
無限を生きる無惨もびっくり。
有限の時を生きる私たち人間は、
辿り着きたい場所…
自分にとっての刀鍛冶の里へ行くために
見通しをもって
道筋を立てて
関連性を理解して
視野と感性を広く深く
自分の足で、歩いて行かなくてはならない。
覚えられない時、理解できない時、
隠された刀鍛冶の里を思い出す。
(以下、刀鍛冶の里編シーンに置き換えると…)
私の思考は、途切れていないか。(おんぶリレー)
目指す方向を見失っていないか。(鴉頼りランダム)
自分の世界に閉じこもっていないか。(目隠し耳栓)
有限の中で、辿り着け。
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