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ネントレと本当の優しさについて考える

娘が泣いている。それもメソメソではなくていわゆるギャン泣き。声が枯れるまで叫び続ける。彼女は呼んでいるのだ「誰か来て、誰か抱っこして」と。

彼女の叫び声を聞き続けるのは、今まで味わったことのない苦痛だ。「胸が締め付けられる」とは、このことか…。辛すぎる。辛すぎて夫婦揃って何もできず、何も食べられない(ちなみに母も全く頼りにならず、泣きそうな顔でこちらを見てくる)。

それでも、歯を食いしばって、夫婦で手を握り合って、寝室のあの子のもとへ駆け寄らないのは「ねんねトレーニング」通称「ネントレ」を始めたからだ。つまり、抱っこやおっぱいに頼らずに、ひとりで眠れるようになれる訓練だ。


赤子との添い寝を手放すのか…!

アメリカにいる間に娘を夫婦のあいだに寝かせる素晴らしさを知ってしまった私は、日本に帰ってからも娘を隣に寝かせて、添い乳をしながら過ごしていた。


そんな私たちがネントレを始めたのは、ふとしたことがきっかけで、娘にしてみたら「え?急にどした?!」って感じでかなり驚いただろうと思う。

その日、娘はなかなか寝付かず、私は乳を出したりしまったりしながら夕食を食べていた。食後にやらなければいけないこともあったので、それが何度も中断されることに、少しイライラもしていたと思う。

夫が抱いても泣き止まないので、少しでも助けたい一心で夫から出たのが「Sleep training(ネントレ)してみようか」だった。

アメリカでは、賛否両論はあるものの一般的にネントレがおこなわれている。基本的に寝室は別だし、赤ちゃんは寝る時間になったら自分のベッドでひとりで眠る。

先述のツイートでもわかるとおり、私は娘とのベッドタイムが愛おしくてたまらなかった。体温の高い赤ちゃんのぬくもりを感じながら、手を握ったり頬をつついたりしながら抱きしめて眠ることに、この上ない幸せを感じていたのだ。

だから本当であれば答えは「ノー」だった。

うちの夫は説得上手である。アメリカの教育で培われたディベート能力に加え、日本に長く住んでいるが故に身についた共感能力をフルに活かしてくる。

「一緒に寝たい気持ちもわかるけど」

「ベッドもそんなに広くないし」

「君ばかり時間を取られてしまうから」

まあ、確かになあ…と思うところを付かれて、私はネントレを始めることにした。実際、昼寝をほとんどしない娘を抱えて仕事に復帰するときのことを思えば、夜ひとりで寝てくれるのはとても助かることだった。調べてみると赤子にとっても、夜中に起きてもおっぱいなどに依存せずに眠れることで、より睡眠が取れるという。

「よし、ここはひとつ、この子に頑張ってもらおうか」

そんなふうに考えていた私たちは、このときまだ、ネントレの本当の辛さを知らなかったのである。


涙と後悔の一週間

ネントレの方法は単純で、お風呂、絵本、おやすみのハグなどルーティーンののち、起きた状態でベビーベッドに寝かせて部屋を出るのだ。もちろん赤子は「え?!どこいっちゃうの?!眠れないよう抱っこしてくれよう」と泣くので、3分経ったら「ここにいるよ」とトントンしに行く。そしてまた部屋を出て、5分、10分と間隔を伸ばしていくのである。そのうち赤子は泣き疲れて寝る。これを毎日繰り返すことで赤子は「ああ、もう寝る時間なのね」と学んでひとりで寝られるようになる!というもの。

赤子の泣き声に耐えられずに抱き上げてしまったりすると「ああ、ずっと泣いていれば来てくれるんだ」と下手に学んでしまうので徹底しなくてはならない。辛いのは初日の数時間。ネットで見る限り、長くても2時間くらいで泣き疲れて眠るようだ。それが日を重ねるごとに短くなっていく、と。よしよし、辛いけれどお互いのためなのだと赤子に言い聞かせ、部屋を出た。

ところがどっこい、我が娘、初日は4時間泣きっぱなしだった。ええええ…聞いてたんと違う…。

そして泣き声を聞いているのが、本当に本当に辛いのである。「ああーーん」と泣き叫ぶ声が、完全に私たちを呼んでいる。私も夫も、代わる代わる「もう止めよう」「でも今やめたらこの数時間が無駄になる」「かわいそうだ」「でも」とお互いを励まし合いながら耐えていた。

その日は泣く泣く中断。あまりに泣き叫んだので、娘の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃ、喉は枯れ、心臓はバクバクしていた。こんなに泣いて大丈夫なんだろうか。血管がブチ切れたり、トラウマになったりしないんだろうか。その姿に不安と後悔がじわあっと広がって「もうやめよう」と夫に言った。

夫は4時間のあいだ、ただひたすらにインターネットや専門書を読み漁っていたので「最初の一週間で挫折する人が本当に多いらしい」と教えてくれた。

「1週間がんばろう。この子も、僕らも」

それでも無理なら、やめる。また一緒に寝よう。


この子にとって「本当に優しい」ってなんなんだろう

翌日からも震えながら泣き声に耐える日々が続いた。けれど、本当に驚くべきことに、その時間はどんどんと短くなっていった。

4時間が2時間になり、次の日には1時間、そしてさらに30分。そして6日たったその日、なんと娘は出ていく私を、じいーっと見ながら口をきつく結んで見送った。

もちろんその後、ずっと泣かなくなったわけではない。まだ出ていくときは寂しそうな声を出したり、30分くらいこの世の終わりみたいな泣き方をしたりする。

それでも、子どもの学習能力や適応力には驚かされた。何もわからないような赤ちゃんなのに、娘は一生懸命、成長しようとしているのだ。

「可愛い子には旅をさせよ」という言葉がある。ネントレに関しては、これが完全に当てはまるとは思わないけれど、今回のことで「この子にとって何が一番いいのか」を、すごく考えさせられた。

かわいくて、甘やかしたくて、何でもしてあげたい。それがこの子にとって、本当の優しさじゃあないんだろう、と。きっといつか、本人が泣いて震わせる肩に、私も歯を食いしばってそっと手を置くことしかできない日がくる。

「ネントレは本当に必要なのか」。それは私の中でも、全然結論は出ていない。むしろグラグラだ。娘の泣き声を聞くたびに「いずれひとりで眠れるようになるのだから、もういいじゃないかああ!」と部屋を飛び出したくなる。今もだ。これを書きながら「もうやめてしまおうか」と何度も思っている。

「あの子のため」は、時に暴力的にもなる。何が子どもにとって一番いいのか。娘にとって「本当に優しい」とはどういうことなのか。

私たちは必死で、その答えを探す。インターネットで調べたり、親や先輩ママに聞いたり。でもたぶん、答えなんてない。「あのとき、ああしてよかった」「あんなことしなければよかった」は全部、結果論だ。私たちはずっと考え続けなければいけないんだろう。


ネントレを続けたその後はこちらです。


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