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英語で子育て。1歳、あの子の頭のなか

1歳の娘に、英語で話しかけている。

日本で暮らす、アメリカ人の夫と日本人の私。娘をインターナショナルスクールに入れる余裕はないし、近くに住むばあばは日本語オンリー。夫はもちろん最初から英語で話すと決めていて、私はしばらくの間、決めあぐねていたのだけれど……

いろいろ考えた末に、私も娘に英語で話しかけながら1年10ヶ月が経った。

まだ2文語(「トマト、食べる」とか)はあまり出ないので、他の子に比べたら遅いほうなのかもしれないが、喋る意欲は十分すぎるほどあるようだ。唾を飛ばし、声を張り上げ、何かしらずっと言っている。ここ2,3ヶ月で、急に大人の言葉を繰り返したり、意味のある単語を言い始めたな、という感じだ。

この記事は、バイリンガル教育のやり方!というより、完全に私と娘の成長のメモ。今回は、1歳10ヶ月頃、保育園入園前までの記録です。

娘の使う言葉は、娘のもの

娘が使う言葉は、単語によって日本語だったり英語だったりする。

犬を見ると「わんわん!」と言う。いくら私が「Dog」とか「Puppy」とか言おうが「わんわん!」と指差すことを止めない。とはいえ「Dog」と言っても犬とわかるようで、「What does a dog say?(犬はなんて鳴く?)」と聞くと「Woof woof!」と鳴き真似する。(かわいい)

電車なんかも同様で「でしゃ!!!」と言うが「Train」とは言わない。「どーじょ!」と言うが、「Here you go」は言わない。言いやすさなんだろうか。

逆に、「テレビ」は頑なに「TV(てぃーびー)」だ。そして、滑り台から降りてきてすぐに言うのは「Again!(っげん)」。最近は「more(もい)」も覚えた。「もう一回」「もっと」とは言わない。

上記ツイートのように「ないない」という同じ言葉を、場合によって日英で使い分けていたりもして、おもしろい。感覚的に「箸」と「橋」を使い分けているようなものなのかも?

あの子の頭の中はどうなっているんだろう。娘が何かを発言するたびに、バイリンガルではない私にはすべてが不思議で、すべてがおもしろい。きっと忘れてしまう些細なこともあるから、こうやって書いておきたいのだ。

娘を日英両方の言語で育てて感じるのは、「娘の言葉は娘のものでしかないなあ」ということだ。娘に英語で話しかけるか悩んだとき、相当な量のバイリンガル教育に関するブログを読んだ。でも、自分が望んでいた「娘の未来」は、当たり前だけど見えなかった。

言語のみならず、子育てのどんな側面にも言えるように、その家の事情や状況はそれぞれ。まったく同じように育てることなんて不可能だから。同じ環境で育てても、別の子は犬のことを「Puppy!」と呼んで駆け寄るのかもしれない。

日本語と英語に触れる量のバランスを取る

日本の社会で英語に触れることは、容易なようで実は難しい。それは日本で暮らしながら英語を勉強し続けている私のような人間なら、わかってくれる人も多いと思う。

テレビをつければ基本的には日本語。公園に行けば、他の子たちはみんな日本語。お店に行けばスタッフさんも店内の表示も、当たり前だけど日本語なのだ。私の母、ばあばが近所に住んでいるため、日本語での会話も多い。

だから、家の中くらいは英語を増やしたい。そう夫に言われて、納得した上での決断だった。私の英語は完璧じゃないけれど、触れる割合のバランスを整える役割は担えるんじゃないか。そう思って、娘に英語で話しかけ続けている。

娘はまだ保育園に通っていないため、日英のバランスは40/60くらいかなあと思う。もちろん、娘が保育園に行くようになれば、そのバランスは一気に崩れることになるだろう。日英90/10くらいになるかもしれない。そのときは、そのとき。また、どんなふうに変化していくのか楽しみではある。

片親一言語に縛っていない理由

「パパが英語、ママが日本語、と決めたら何が何でも突き通す。両方話せることがわかってしまったら、子どもは自分が楽なほうで話してしまいます」

この論理を、何度も何度も、いろいろなところで見た。そのとおりだと思う。いつか娘が成長して日本語が強くなれば、「英語ダリィ、無理、日本語でよくね?ふたりとも日本語わかるっしょ?」と言われる日が来るのかもしれない。

それを知った上で、私たちは、結構ゆるっとしている。「基本、英語」としつつ、「日本語、禁止!」とはしていない。なぜか。まあ、それを突き通すことがめちゃくちゃ大変だということは置いといて。(できている方々は本当に尊敬しています)

大きな理由は、他の日本人と一緒に過ごすことが多いから、という気がしている。日本の家族や友達や、公園で他の子と遊ぶとき。

英語がわからない人もいる空間で、英語だけで話して誰かを置いてけぼりにするのはクールではない(逆もまた然り)。例えば、私の母は英語がわからないから、ばあばがいるときは日本語が中心になったり、日本語でも説明したりする必要がある。逆にアメリカの義実家は英語オンリーなので、私たち家族にとって「大多数がわかる言語の中に、それがわからない人がいる」という状況は結構身近だ。

置いてけぼりを作らないように配慮すること。私や夫のように、そしていずれ娘もそうなれば、両方わかる人が「架け橋」になる必要がある・なることができる、というのを娘には知っていてもらいたいと思う。

片親一言語に縛っていない理由2

それから、もうひとつ。これは最近考えていることなのだけれど、私自身が幼少期から英語を学ぶ上で出会いたかったロールモデルは「ペラッペラのネイティブ」ではなくて「状況や相手によって、日本語と英語を使い分けられる人」であったような気がしている。

小さいときから、英語教育の場には「(日本語が話せないとされる)ネイティブの先生」と「授業を日本語でサポートする日本人の先生」がいた。

その場合、私はどちらを目指せばいいのか、わからずにいた。「ネイティブのようにペラペラな英語を目指したほうがいい」と言われても、そうなれるイメージは沸かない。もし、ネイティブの真似を一生懸命しようものなら、クラスメイトたちから「発音、外国人っぽいじゃんwww」と笑われ恥ずかしい思いをしたこともあった。(そういうバカにする文化やめよう!みたいのはあるけど、それはまた別の話)

そのうち、外国人の先生にも伝わることがわかって「なんだ、ジェイソン、日本語わかるじゃんかー!」みたいなことになるんだけど、そこに「バイリンガルとして言語を使い分けるロールモデル」は存在しない。

だから、私と夫は、日英両方それなりに話せることを娘に隠さない。私も夫も基本的に娘には英語で話しかけつつ、必要な状況では日本語を使うことをいとわない。両方の言語が身近な環境だからこそ、それをどうやって使うべきかを学んでほしいなと思う。

そういえば、おもしろい動画を見つけた。

子どもの言語処理について研究するナジャ・ファージャン・ラミレス博士が自身のバイリンガル子育ての話を織り交ぜながら、「全ての赤ちゃんが2つの言語を同時に習得する能力を持っている」と説明するもの。

中でも「通常、バイリンガルの子どもは、いつ言語を混ぜて話して良いか理解しています(11:55)」は、私にとって衝撃だった。子どもは「相手がこの言葉なら理解できる」と理解した上で、ふたつの言語を使い分けているというのだ。

だから「マミー、今日のDinner、とてもYummyだね」みたいなルー大柴語になっていて心配になったとしても、それは両方がわかる相手だから使っているわけで、わからない相手にはそうは話さない…と。本当だろうか?この視点も持ちながら、娘を観察してみたいと思う。

(日本語字幕付きは下記にありました!)

どの言葉が、誰に伝わるか

これから保育園に入る娘が、どんな言葉を学んでくるのか楽しみだ。

家の中の言語を英語にしたことで、保育園での意思疎通で他の子よりも苦労するかもしれない。お友達の「やめて」がわかんなかったり、「ありがと」の代わりに「Thank you(きゅー)」と言ったりするから。

でも、自分が家族と当たり前に使っている言葉がみんなに当たり前に伝わるわけではないと学ぶのは良いことだし、「相手に伝える」ためにどうすればいいかを試行錯誤するのは、日本語も英語も関係なく、人との関わりのなかで学んでいくべきことだ。「っち!」とか「っげん!」とかで、両親やばあばはわかってくれるが、世の中に出ればそうもいかないのである。

そのうち、逆に私たちがわからない言葉を、外で覚えてきたりするのかもしれない。(「ぴえん」みたいなやつ。「え、ママ知らないの?」とか言われるんだろうな)

私も娘も、「相手に伝わる」言語をアップデートしながら生きていかねばならないところは、お互い様である。

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