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赤ちゃんに泣かされる大人たち

娘を連れて、ずっと会いたかった人のところへ行ってきた。

母の古い知り合いであるモトヤマさん。私は赤ん坊のときに会ったことがあるそうで「まるちゃん」と呼んでくれたらしい。私がライターになってから、母が記事を送ると丁寧な優しい感想が送られてくるようになった。

感想文からはあたたかい人柄が滲み出ていて、私はいつも彼女の感想を心待ちにしていた。妊娠がわかったときも、子どもが生まれたら会ってほしいなと思っていた人のひとりだ。


待ち合わせ場所でこちらを見たモトヤマさんは、確信に満ちた目で「まなちゃん?」と言った。思っていたよりも小さくて、思っていたよりも強そうな人だった。母よりも11歳年上の彼女は、シャキシャキしていて、黒の短髪が思い描いていたのと少し違った。

「短くしたら、どんどん短くなっちゃうのよね」

うちの母も短髪なので「わかるわかる」と笑っていた。会社の先輩と後輩だったモトヤマさんと母は懐かしい名前を出しながら嬉しそうに笑っている。知らない時代の知らない人たちの話なのに、なんだか私も嬉しかった。

「新入社員だったあなたが『ばあば』なんだものねえ」


ぜひ抱っこしてあげてください、と赤子を差し出す。

「そんな、上手にできないわよ」

そんなふうに言いながらも、娘を受け取ってくれた。ご自身は子どもはいないけれどその抱き方はしっかりとしていて、娘も抱きつくように首に腕を回したとき、モトヤマさんの顔がふっとゆるんだのが見えた。

その瞬間、彼女は泣いていた。私も母もびっくりしてしまうくらい、それは唐突で一瞬の出来事だった。

赤子を降ろして涙を拭きながら、モトヤマさんは言った。

「私の母も…、赤ん坊の私を抱いてこんな気持ちだったのかしら」


わかる。モトヤマさんの涙に驚いたけれど、すぐに「すごく、わかる」と思った。自分が初めて赤子を抱いたとき、自分の中に溢れ出てくる圧倒的な愛に驚愕した。

「お父さんとお母さんも生まれたばかりの私を見て、こんな気持ちになったんだろうか」

それはまさしく、私もモトヤマさんと同様に感じたことだった。それは我が子に対する愛だけじゃない不思議な感情で、胸の中から湧き上がるような愛おしさと、それをきっと自分の親も感じていたんだという実感。

こんなにも莫大な愛を、私は両親から受け取っていたんだと言葉にならない何かで胸がいっぱいになった。


モトヤマさんは69歳。お母さんはもう亡くなったと言っていた。きっと、モトヤマさんも同じなんだ。赤ちゃんの持つ、計り知れない大きな愛が彼女を飲み込んだんだろう。「赤ちゃん」という存在に触れただけで、世代を超えて、時代を超えて、母の愛を思ったんだろう。すごいことだ。

「大事な赤ちゃんを抱っこさせてくれてありがとうございます。抱っこしただけで、エネルギーがじわーっと伝わってきました。純粋な赤ちゃんは、まだまだ神様に近いんだね。これから人間の領域に入ってくるのかな」

モトヤマさんからメールが来た。また絶対に会いに行こう。次に会うときには、小生意気で手に負えない「人間」になっていますよ、きっとね。


今回の記事にはメッセージも言いたいことも何もない。本当は他のことを書こうと思っていたんだけれど、モトヤマさんの涙が忘れられなくて、この日を忘れたくなくて、日記を書く。

生まれてきてくれただけで、生きていてくれるだけで、笑顔を見せてくれるだけで、首に小さな腕を回してくれるだけで。こんなにも心を揺さぶってくる愛に、大人のほうが泣かされてしまう。そんなすごいことを教えてくれただけで娘にありがとう、なのです。

こんな感情の渦を言葉にするのってすごく難しい。あまりうまく書けていないけれど、今日はおしまい。

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