1年で人はこんなにも大きくなる
6月15日。娘が1歳になった。
自分の誕生日も、他人の誕生日も疎くて実感がわかない私。娘の誕生日もやっぱり実感がわいてこない。けれど1年前の今日、赤ん坊がおぎゃあと産声をあげてこの世に生を受けたことだけはわかる、他でもない私が証人だ。
子育てしている人に限らず、大人は誕生日になると、みんなこう言う。
「この1年、本当にあっという間だったなあ」
本当にそうでした。夫婦揃って右も左もわからない状態で育休を取って、ミルクをあげ、おむつを替え、抱っこして、かわいいと叫んでキスをして。他にもいろんなことをしていたはずなんだけど、思い返すと、ミルク抱っこミルクおむつ抱っこおむつミルク…と繰り返した記憶ばかりが蘇ってくる。
「大変だったんだぞ、この1年」
そう話しかけても、娘は自分で大きくなったような、ずっと昔からここにいたような顔して、こっちを見てくる。日に日にかわいくなる。本当に初めて出会ったのは1年前なんだろうか。なんだか、もっと長いあいだ一緒にいたような気がする。
娘はずいぶん大きくなった。
身体は相変わらず成長曲線の上~のほうで、しっかりしたむっちりボディが魅力的。皮膚が固くなって、髪や手足がずいぶん伸びて、大好きだった足の裏の匂いは立ち上がるようになってから変わってしまった。
見た目だけじゃなく、中身もずいぶんと成長したと思う。子どもの成長スピードは速いというけれど、人間って1年でこんなに大きくなれるものなのかってびっくりした。
聴いているだけだった絵本が自分でめくれるようになったり。よく落っこちて泣いてたソファから自分で降りれるようになったり。バナナを潰してあげなくても自分で食べられるようになったり。数えればキリがない、まだ1歳だというのに「自分で」できるようになったことが、こんなにもある。
静かになると、何かしら散乱している。
ニンテンドースイッチでも遊ぶし、時代劇もみる。(わざわざテーブルに登って…)
これから、どんなことができるようになるんだろう。そんなふうにわくわくする気持ちといっしょに、忘れたくないなと思うこともある。
最初、娘がこっちを見て声を出したとき、感動した。
「私に何か言ってる!しゃべってる!」
「あー、あー」と、肺に空気を入れ、吐き出すと同時に喉から音を発している。ただ、それだけで大喜びした。でも、そのうち慣れてしまって「はやくしゃべらないかなあ」と言っていた。
次に笑い声をあげたときは泣きそうになり、「ママ…ダダ…」と言葉っぽいことを言い出したときも大喜びで録画してたけど、そういえば、そのうち慣れてしまった。
人間はみんな、最初は「声が出せる」、いや、それ以前に「元気に生きている」だけで大喜びされていたのに、だんだんと「言葉が話せる」のが当たり前になり、そのうち「話す内容がすごい」ところまで求められるようになる。
この子はこれから、もっともっと大きくなり、まわりに「すごいこと」を期待されるようになるだろう。それは喜ばしいことでもあり、苦しいことでもある。
私が母として忘れたくないのは、娘の声を聞いただけて心が震えたこと。鼻息だけで愛おしくて泣きそうになったこと。
だから私にだけは、いくつになったって「話す内容」が別にすごいことじゃなくてもいいってこと。
明石家さんまは娘に「生きてるだけで丸儲け」という意味の名前をつけていたけれど。今ならわかる。本当にそうなんだ。
この記事に使う写真を探そうとアルバムを見返していたら、しみじみして泣けてきたぞ。ミルクとおむつ以外にも、たくさんの楽しい思い出があった。誕生日の実感がわいてきた。
たった1年で、人はこんなにも大きくなれるんだ。なんだかさみしくなってきて、はやく大きくなーれと思っていたはずなのに、今日は「そんなにすぐに大きくならないで」と言ってみる。
今日は1日、いつもよりもたくさん抱っこしよう、ハグしよう、キスしよう。「生まれて来てくれてありがとう」って言おう。
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