どうでもいいくすぐったがりの話
赤ちゃんをあやすときの三大フレーズに、「いないいないばあ」「たかいたかい」に続いて「こちょこちょこちょ」がある。夫は娘をあやすときに「こちょこちょ」とくすぐるのだけど、それを見ていて考えていたことがある。本当にどうでもいい話だ。
「くすぐったい」ってなんだっけ
夫は娘が1ヶ月にも満たないときから「う~こちょこちょこちょ!」とくすぐっていたけれど、娘はクスリともしなかった。(このときの夫の顔がおもしろいので私は隣で大爆笑)まあまだ笑うことすらできなかったし、赤子は痛みにも鈍感だというから、何も感じていないのかもしれない。
それが最近は、嬉しそうに笑うようになった。かわいい。その笑顔が嬉しくて、夫も気が狂ったようにくすぐっている。傍から見ている私も相変わらず大爆笑している。
そんな2人を見て、ふと気がついたことがある。
「これは、くすぐったくて笑っているのではないのでは…」
試しに声を出さずに真顔でお腹や脇腹をくすぐってみても、今までの笑顔が嘘のように笑わない。真顔でこちらを見ている。もう一度、夫に頼んで「こちょこちょこちょぉぉぉぉおう!」とハイテンションでくすぐってもらうと、声を出して笑う。
そうか。なんでもいいのか。くすぐったいわけじゃなさそうだ。
額がビリビリする女
私の親友で「額がビリビリする女」がいる。
なんのことかさっぱりわからないと思うが、眉間の部分に指を近づけると「うあああビリビリする!!」と逃げ惑うのだ。わけがわからないと思う。私もわけがわからない。
追いかけ回すのをやめてよくよく話を聞いてみると、どうやら幼い頃から父親に呪いをかけられていたという。
「このね、目と目のあいだを触るとビリビリするからね…」と言い続けられているうちに、本当にビリビリするようになったと言うではないか。
そ、そんな馬鹿な…!
もしかして親のすることってすごく重大なのではないか
「くすぐったい」という感覚は、「こちょこちょ」と嬉しそうに叫ぶ夫の顔や、くすぐられてヒィヒィ言っている私を見て、これから娘に作られていくものなのではないか。
「へえ、脇腹って人にこちょこちょされるとくすぐったいものなのね。笑っちゃうものなのね。」そんなふうに、身体的ではなく文化的に学んでいく感覚なのではないか。
それが、今回、私が考えていたどうでもいいことである。
まあ本当にどうでもいいことなのだけれど、ちょっと立ち止まって考えてみる。これって結構すごいことだよなあ、と。
例えば私が夫を始め、娘が生きていく過程で「くすぐる」という行為に一切触れさせなければ(人がくすぐられているのも見せなければ)、娘は「くすぐったい」という感覚を知らないまま大人になることになる。
そして娘が30歳くらいになったときに、夫(60代)が「こちょこちょこちょおおおおお」と脇腹をくすぐったとしても「は?」となるに違いない。
えーっとなんだっけ。
そう、親がしてきた小さなことが娘の感覚を作っていくっていうことなんだ。私たちが何気なくしていることを見て、聞いて、感じて、娘という人間ができあがっていく。自分自身にプレッシャーをかけるわけではないけど、見られても恥ずかしくない背中を見せようとは思う。知りうる知識、できる経験は全部させてあげたいと思う。
くすぐったがりの独り言
私自身は、極度のくすぐったがりだ。整体でもウヒョヒョとなって整体師を困らせる。夫にくすぐられたらまず勝てない。これって結構大きな弱点だと思うんだよな。だから娘は守ってあげたかった…が、時すでに遅し。
今日も夫は甲高い声で「こちょこちょ」と言うし、娘は笑う。まだくすぐったいのは知らなくても、文化的な何かが彼女の中でできつつある。
まあそれでいいのかもな、とも思う。
だって全力でのこちょこちょに「は?」って言われたら、夫はたぶん、すごく悲しいだろうから。
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