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暴風の理由は

夜眠りにつくとき、夫がそっ…と私の顔の前から腕をどかす。自分でも気がついている。鼻息が荒すぎることに。

妊娠がわかったとき、私は恐れつつもワクワクしていた。私の身体のなかにひとつの生命体が生まれたこと。そしてそれを通して、今までの自分ではあり得なかった体験ができること。

一体、自分の身体に何が起きていくのか。

「悪阻が気持ち悪くて…」「常に眠くて…」「変なものが食べたくなるのよ…」

みんないろいろ言うけれど、人それぞれとも聞く。ホルモンという、自分の意思ではないところで、身体が変わっていくのだ。完全にフシギ体験じゃないか。

それから10ヶ月。それは不思議な体験をした。誰かが言ったように酸っぱいものが食べたくて、みかんを握りしめて寝たりとか。暑くもないのに汗が止まらないとか。トイレに行きたいのに行っても出ないとか。そして鼻息が荒すぎるとか。

そのどれもが抗えない力を持っていて、どれも心地良いものでもなかった。なんだよ、辛いよ、妊娠を繰り返してきている人類はもっと急速に進化してもいいのではないか、と悪態をつきたくなるほどに。医療も科学も進歩しているんだし、宇宙にだって行けるんだし。

文句を言いながらも、人間の身体って不思議だなあ…って、なんだかおもしろくて、おかしくて、すべて覚えていたくって。いろんなところにメモをした。

「面白いテレビ番組があるんだよ、一緒にみよう」

母が見せてくれたのはNHKで話題だった「人体」。そこで語られていたのは、母体が自分の身体をぶち破ってまで胎児に血液を送っているということ。

私の心臓は、血液は、もう自分のためだけに動いているわけじゃないらしかった。普段よりも何割り増しかで張り切って、この数ヶ月働いているんだ。

なんだかそう思ったら、いろんなことが腑に落ちた。そりゃ大変だわ、私の身体。よくがんばってる。

ヒューヒューと鼻息が腕にかかる。これは私と赤子の呼吸。私の心臓が、生まれてはじめて、自分以外の何かに血液を送るための暴風なのだ。少しくらい荒くてもいいじゃないかと、今夜は思える。

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