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『メランコリーの妙薬』&『記憶にございません!』

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木曜日19時開始のPFFの特別プログラムとして『ムーンライト』のバリー・ジェンキンスのデビュー長編作品『メランコリーの妙薬』を友人夫婦と観る。画とカットのセンスの良さがやはり『ムーンライト』に繋がっているのがわかる。

タクシーと自転車でサンフランシスコを移動するのだが、セリフ自体は明瞭ではないモゴモゴした話し方の感じのリアリティとかも含めて二人の男女を軸に街を描きたいのがわかるし、やはり黒人という問題を主題に置いている。

ゼロ年代初頭の単館系を思い出したりした。マイスペースとかが出てくるのもそうなんだけど、時代性が刻まれている。そして、これを撮ったことでA24は『ムーンライト』をバリー・ジェンキンスに撮らすという判断ができたこと、その判断と先見性についてやっぱりすげえとかしかいいようがない。


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仕事が終わってからTOHOシネマズ渋谷にて三谷幸喜監督『記憶にございません!』を鑑賞。予告編を劇場で何度も観ていて、ほんと十年ぶりとか三谷作品で映画館で観たいなと思った。当然ながら安倍内閣を揶揄してるわけだが、悲劇と喜劇は紙一重であり、ホラーとコメディも紙一重。ところどころで起きる笑いや爆笑に近いものは、安倍政権とこの数年の政治のゴタゴタ&ボロボロを見ていたからこそ、土台があって笑えてしまえるブラックコメディでもある。三谷さんらしさが光っている。

内閣改造があってすぐにこの映画をリアルタイムで観れたのも余計におもしろかったのかもしれない。どんなにスピードを出して絵になるからと言って、顔ヅラのいい若手を使ってる辺りがほんと国民舐められているし、しかも、舐められているのに逆に歓迎しちゃうぐらいの民度。だとするとこの笑いがわかる人のほうが今少ないのかもしれない、と怖い、ああ、笑ってたけど笑えない時代だというホラーのほうが現実だった。

残念な時代だからこそユーモアは絶対的に必要だ。でも、その笑いすらも届かないぐらいの機能不全。政治風刺やブラックユーモアを笑うためにはそれなりの知識と物事について考えれることが前提だからだ。しかし、こういう作品もっと大きなバジェットでやってほしいし、ドラマとかでガンガンしてほしい。国家に仕えるという本質を見失ってる人たちをアイロニーとユーモアできちんと刺激し続けないといくらでも嘘をついて責任を取らないままのうのうとしてしまうから。

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