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『アス』&『いなくなれ、群青』

土曜日、台風が近づいている中、TOHOシネマズ渋谷にて『ゲット・アウト』で世に名前を知らしめたジョーダン・ピール監督最新作『アス』を鑑賞。ある一家を襲ったのは彼らに瓜二つのもうひとつの家族だった。ホラーでありサスペンス的な要素も強い。

最近僕はNetflixで『アトランタ』というドラマを見ている、というか映像だけ流してセリフとかを聞いている。英語はわからないので意味はわかっていないが、流している。そのドラマの主演はドナルド・グローヴァー。彼は『This is America』が大ヒットしたラッパーのチャイルディッシュ・ガンビーノといったほうが有名かもしれない。
『アス』はそういう意味では『This is America』的な映画である。そして、ラストで明かされることは、どこか『海のトリトン』のラストで明かされることの反転と言えるようなことである。

この映画だけではなく、今ありとあらゆる表現はひとつの世界を描くために多層における世界観や人物設定がないといけない。いけないというよりはリアリティの問題として、SNSとスマホが当たり前になってどこか支配すらされてしまっているのかと思うほどに、当たり前のものになった時代ではリアリティはひとつの世界、ひとつの人物、ひとつのアカウントだけではないということをみんな知っているからなのだと思う。
最近観た『ブラインドスポッティング』もこの『アス』も土台を引用するか、構造を借りて日本の現状を描くことはたぶん、できる。

火曜日、起きてからバルト9に行って、『いなくなれ、群青』を鑑賞。先月原作小説を読んだのだが、「捨てられた」人間が行き着く階段島という島を舞台に展開される青春ミステリーのような作品だ。人は死なないが、いなくなる。
十代の若者たちがある場所から出て行けずに閉じ込められるというのは、大江健三郎『芽むしり仔撃ち』をはじめとして、2000年前後では『バトル・ロワイヤル』があったりした。この「階段島」シリーズも大ヒットしており、十代、二十代にとってはかなり身近な作品になっているのだろう。


『天気の子』がヒットする時代に、若い世代にヒットしているものはある程度共通点があるのだろう。毒にも薬にもならない、誰も傷つかない「セカイ系」はもはや、「セカイ系」ですらなくただ大量消費のための、ヒット作になりうる安全な作品だ。痛みなどもういらないのだ。だって、現実はあまりにもきつすぎて、なにもフィクションの中でもいたみやきつさを感じたくないのだから。若者はそうやって飼いならされてしまう、僕たちの世代やその上の世代によって。映画の方はそちらに寄っている。


小説はまだそちらにがっつりではないように読めた。著者の河野裕さんはグループSNEに所属しているようだ。グループSNEと言えば、日本にTRPGを広めた存在であり、『ロードス島戦記』などを世に出している。という流れもあるからか、この作品が新潮文庫nexから出ているけど、映画は「KADOKAWA」なのだろうか。メディアミックスを角川書店が仕掛けた時に重要な作品だったのは、『ロードス島戦記』だったわけだから。
映画版のヒロインである真辺由宇を飯豊まりえが演じているが、どこか新垣結衣ちっくに見えたんだけど、正直小川紗良さんがやればよかったのにと思ってしまった。脇役の堀を演じた矢作穂香、水谷を演じた松本妃代は今後ブレイクしそうな気がする。

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