「勉強」の概念はいつ誕生するのか?
こんにちは(^^♪ 本日も最近感じていることを備忘的にまとめていきたいと思います。本日のテーマは「勉強」という概念について。
できる子は「勉強していない」という事実。
まず、よく言われるのが「本当に出来る子はあまり勉強していない」ということです。東大などトップ国公立、私大に受かるような子は「実はあまり勉強していない」ということはよく言われます。
これは、どうゆうことかというと、彼らは「勉強」という概念をあまり持っていないんじゃないかなと、私は思っています。つまり、一般的な意味での「勉強」はしていないのです。
「勉強」は「勉め強いること」。
勉強の語源を調べてみると、勉め強いること、と出ていきます。これってそもそも「嫌ななこと」が前提にありますよね。本当は嫌だけど、やりたくないけど、でも仕方なしにやるんだ、というのが、なんとなくの勉強のイメージとしてはあります。
実際、保護者さんが「勉強しなさい」と言う時は、このイメージで使っていることが多いですよね。あなたは嫌かもしれないけれど、やらなきゃいけないんだからやりなさいと、強いているのが、その言葉の真意ではないでしょうか。
しかし、本当に勉強ができる子は「強いられて勉強」してはいません。彼らは単純に知りたくて、わくわくしたくて、前に進んでいるのです。その意味では、彼らは勉強しているのではないのです。
「勉強」は「大人」が生むもの。
そう考えると、勉強なんて言葉なんて、使わないほうがいいんじゃないかと思えてきます。私も自分の子どもを育てていて、子どもに「勉強しなさい」「勉強したほうがいいよ」とは絶対に言いません。それを言った瞬間、子どに「勉強」という概念が生まれてしまうと考えるからです。あくまでも「遊び」の延長線上で、いろんなことを知っていくのが理想ではないでしょうか。それを「勉強」というカテゴリーに入れてしまうことが、すごく残酷に感じます。
思うに、「勉強」という概念は「大人」が子どもに作り上げるものではないでしょうか。子どもが単純に楽しく遊んでいること、好奇心で探求していること、それを大人の側が「勉強」という概念でカテゴライズし、子どもの意欲を削いで行っているようにも思えます。その意味で、私は子どもが「勉強」という概念は持たなくてもいいんじゃないか、持つべきではないのでないかと考えています。
「勉強」しない子は「すくすく育つ」。
これも逆説的ですが、「勉強」しない子はすくすくと育ちます。探求すること、好奇心に従って物事を調べること、そんなことが大好きになります。彼らは「親」や「先生」に強いられてやっているわけではありません。あくまでも「自分がやりたいから」やっているのです。
不登校の支援をしていると、「勉強」という概念に苦しんでいるような子が多くいます。そもそも「勉強」なんて、するべきじゃないし、しなくてもよいんじゃないかと、最近感じています。
本日はこのへんで!
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