ハノイ。秋
この空気を知っている、と思った。
あるようでないような気温。
音楽。学生。おいしそうなにおい。
あ、外語祭の季節だ。
エモーショナル。普段よりも感覚が繊細な気がする。
アンニュイ。そんなに寒くない、曇り。どこか気だるげで、それでいてこれから何かが起きそうな予感。
誰もが知っているあのカフェを模したTシャツを着て、それとは全く別のカフェでひとり、甘ったるいベトナムコーヒーをすする。BGMは気の早いクリスマスソングだ。
切ない。
さっきまで一緒にいた現地の友人は、家族の待つ家に帰ってしまった。日本留学がかかっている、という課題で忙しそうだ。ここベトナムでこれほどのレベルの大学へ通う彼らはたぶん、相当なエリートなのだろう。
Paul Verlaineの『落葉』が頭に浮かぶ。
秋の日の ヴィオロンの ためいきの
身にしみて ひたぶるに うら悲し。
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鐘のおとに 胸ふたぎ
色かへて、 涙ぐむ
過ぎし日の おもひでや。
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げにわれは うらぶれて
こヽかしこ さだめなく
とび散らふ 落葉かな
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(訳: 上田敏)
偉大な詩人でも、この季節のどうしようもなさは世界共通らしい。
昨日まで私を訪ねてハノイへ来ていた父母からメッセージの通知。ベトナム中部のダナンへ移動して、もう素敵なスカイバーを見つけたようだ。新婚旅行以来?の海外ふたり旅だった。くつろぐためというよりは、インドシナ半島で第二次世界大戦を戦った祖父の戦跡を辿るのが目的。現地の人に案内を頼み、バックパッカーのような旅をしたらしい。両親は口喧嘩することも多いが、何だかんだ仲が良いと思う。美しい、面白い、幸せだ、と感じるものがきっと似ているのだろう。
SNSで見られる日本の友人たちも、両親も、みんな幸せそうだ。
暇で孤独で、ポンと放り出されるこの感覚は不安になるが、それに浸るのは嫌いではない。かといってそれほど好きな訳でもないが。
晩ごはんを一緒に食べる約束をしていた友人。連絡がつかないと思っていたが、2時間ほどずっと、私と同じカフェですぐ近くの席にいたみたい。
視野の広さってだいじだ。
ごはん、食べてきます。