読みたい本がたまってる(駄文)
時間がない、時間がない、時間がない。
忙しそうに西へ東へ走り回って、休みの日はひたすらに眠る。
それが人間の暮らしなのだそうで、それなら私は人間じゃなくていい。妖怪にでもなろうか。あ、水木しげるもこんな感じだったのかな。などと思いながら文庫本を開く。
時間がなくとも読みたい本は増えていく。
目が見えるうちにあと何冊読めるのかとか、効率のいい読書とか、そういうことを考えてしまうのがナンセンスなのだ。
コスパ(コストパフォーマンス)とかタイパ(タイムパフォーマンス)という言葉が当たり前になり、何でもかんでも効率化するのが良いことになっている。
読書もそれで、読むべき本と読まなくていい本を分けて効率よく知識を得るそうだ。そんなものを知識と呼ぶな、それはお前の重しだろ。効率よくなんてのは一番、自由から遠い考え方じゃないか。
不自由に飛べなくなるためにわざわざ自分で自分に重しを縛り付けて、何が面白いのか。分からん。とりあえず腹が立つ。
まぁ、腹が立つのも自分も結局そうやって重しを体に巻いてるからなんでしょう。
にしても読みたい本が色々ある。
色々読むためにと急ぐことができない。
気分がのらないと本は読めない。
だから私は読書スピードが遅い。
「…今!今!今が文庫本開く絶好のタイミング!」というテンションの時じゃないと開かない。
なので読む時間があっても「…今じゃないな…」となると読まない。
そう言う時にいつも星の王子さまに出てくる王様を思い出す。うろ覚えなのだけど、確か、夕焼けを見せてよという王子に、「今は命令のタイミングじゃない、タイミングがあるんだよ。」といって陽が落ちるのを待って「夕焼けを見せてやる」と言う。あたかも自分がやったことのように自然と沈んだ陽を自慢げにみせる。
私はこの話を、なるべくしてそうなっていく時間の経過を楽しむということなんだろうと解釈している。
本を読むのもそういうことだ。読むべくして読むのだから、効率を考えるなんて何てつまらない、遊び心のないことなのか。
本なんてのは遊び心の塊なのに、効率的に読むなんてのは本を冒涜する行為ではないか。
なので、とりあえず今日はプロレスを見よう。
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