誰かが(駄文)

誰かが僕を求めているのかもしれない。
そんなこと、くだらないままごとの台詞なんだろう。
それでもその台詞を信じたくなる。
それくらい、魅力的なことなのだ。

どこかの誰かに必要とされること。
それはロマンチックでエキサイティングだ。

今年はたくさん人が死んだ。

私が四六時中一緒にいた人じゃない。
年に数回、下手すれば数年に1回、会うような人。

それでも物悲しいものは物悲しい。

知ったような口を利いて、我が物顔で泣いたりなんてできないけど、でも、その人のほんの少しでも生きている様を私は見たのだから、物思いに耽るくらいいいだろう。

あの人が私の歌を聞いて見せてくれた瞳とか、あの人が伝えてくれた気持ちとか、それが薄っぺらいものだとは思えない。
だけど、だからって、深く意味を感じきることができたかなんて分からない。

彼女が泣いたのは、私なんて関係のない遠い遠いところの出来事。
だけど、彼女が泣いてしまう意味が、私にはわかる。
だって彼女の感性と、私の感性はとても近いから。そうやって僕らは言葉もないままわかりあうんだ。

酷い酷い世界だ。
自分が自分を愛せなくなってしまうような世界だ。
そんな所で、僕らは偶然出会って、偶然言葉を交わした。
その奇跡は、何に例えることもできないことだ。

僕はあなたの気持ちの全ては汲み取れない。だけど、その気持ちが湧いたことを知っている。

あなたがこの日、この時、この場所にいて、私と交わったのだ。

ほんの一瞬でも、交わったのだ。




私は死んだ時、言わなきゃならない。
こんな歌を作って、こんな風に歌って、こんなリアクションをもらったんだと。
死んでしまった人には出来なかったことを代わりにやらなくちゃならない。
あの子が、私が出来なかった“死”を、成し遂げてくれたから、私は代わりに“生”を成し遂げて伝えるんだ。



あなたに聞かせたい歌が、たくさんあるから、たくさんたくさん練習して、そんで死んだらリサイタルだ。
あなたに、あなた達に、たくさん、聴かせてあげなきゃいけないから、僕はもう少し生きて歌を歌うよ。


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