寿命の28倍生きた弟から与えられた使命 パート4
これは毎日を一生懸命に生きて寿命を全うした弟が、私に使命を気がつかせてくれるお話です。パート1・2・3はこちらをご覧ください。
新たな活動への決意
各種イベントやボランティアとしてのチアのパフォーマンスや学校での講演活動・セミナーの開催等の活動を続けて、世界一周帰国から4年たった頃、ある国際的なイベントに関われることになりました。
世界一周に行く前から、私はこのイベントに深く携わりたいと強く思っていました。どうすれば関われるのか試行錯誤していたところ、一般の職員募集が始まったので、すぐに応募しました。
面接で熱い想いを伝えて、内定をいただくことができました。
応募する段階から、私はこのイベントに命をかけるくらいの気持ちで、覚悟を持って取り組む決意をしていました。
直接的ではないかもしれないけれど、そのイベントが、世界の平和に繋がっていくものだと信じていてたのです。
この仕事の間は職場が家から遠かったこともあり、東京で一人暮らしをしていました。私が海外に飛び立ったときから来てくださっているヘルパーの方々がその時も来てくれていたので、それがとても心強かったのです。
一人暮らしをしながらもほぼ毎週実家に帰って母と弟との時間を過ごしていました。弟の笑顔をみると、仕事への情熱がさらに湧いてきます。
「お姉ちゃんが今関わっている仕事は、お姉ちゃんの使命に繋がる素晴らしい仕事なんだよ」
弟と世界の変化
そんな、心を込めて仕事に打ち込んでいたある日、新型コロナウイルスが世界に蔓延し始めました。
呼吸器の弟が感染したら大変と、母からも実家への立ち入りが禁止されました。
実家は埼玉。埼玉と東京は電車で1時間くらいの距離ですが、これほど遠くに感じたことはありませんでした。
ウイルス持ち込みを極力抑える為に、ヘルパーさんもお断りしていました。実家は母と弟だけ。弟と会えるのは、ビデオ電話のみ。
そしてこの間、だんだん弟が体調を崩すことが多くなって来て、入退院を繰り返すようになって来ました。
この仕事を辞めて実家に帰り、弟の介護を手伝おうか、一度決めた仕事なのだからやり切ろうか葛藤が生まれました。
しかし、弟なら、
「お姉ちゃん、自分で決めた仕事なんだから、最後までやり遂げて。」
と言うだろうと、思いました。もしここで辞めたら、弟のせいで辞めたんだと一ミリでも思ってしまうことが、弟にとって申し訳ないと思い、仕事を最後までやり遂げる決意を再度固めました。
そして2021年の年末。もう家に帰ることはできないだろうと医師から告げられました。
その時の覚悟をしておいて欲しいと言われました。
その頃は新型コロナウイルスがかなり蔓延していて面会にも行けません。
しかし何度も医師から同じような言葉を私たち家族は言われていたので、今回も医師が大げさに行っているだけだと自分に言い聞かせていました。
2020年内は病室に着替えを5分以内の時間で届けることが可能だったので、私は母に頼み、着替えを届けに行きました。
入院する前は、何度かテレビ電話で弟と実家から繋いでいたのですが、直接会えるは本当に久しぶりでした。
弟を知っている職場の方から、弟に、と飛行機の模型をもらったのです。それを弟に届けました。
そうしたら、その飛行機を見て、弟はにっこり、笑ったのです。
「弟は、きっと大丈夫」
震える体を抑えて
今まで心臓が5回も止まっても生きてたんだから、今回も絶対乗り切れる。そう、信じて疑いませんでした。
そしてこの日を境に、新型コロナウイルスの影響から病室に着替えを持って行くこともできなくなってしまいました。
年明けから日に日に体調が悪化して行き、通常は胃にあいた穴からチューブを通し(胃瘻)そこからミルクで栄養を取っていた弟でしたが、その栄養すら体が受け入れなくなってきたので、中心静脈から針を刺し、そこから栄養を取るようになりました。
これも過去に何度か行ったことがある治療でしたので、弟は絶対良くなると信じ続けていました。
そして退院できた時、お家で見るのはもう限界かもしれないからと、弟を見てくれる療養型の病院も探し始めました。
現地に視察に行き、先方の先生からも前向きな返事はもらっていたので、少しだけ、明るい兆しが見えていました。
この頃、仕事もとても忙しかったので、昼休みになっては母に電話をして、励まし合っていました。毎晩寝る前に、弟が助かりますようにと、神様に祈り、なかなか寝付けない日々でした。
そんなある日の日曜日の夜、母から電話がかかってきました。
「弟が危ない」
こんなことは今まで何回もあった。今回も絶対に絶対に大丈夫。そう自分に言い聞かせながら、震える体を抑えて病院に向かいました。
病院について集中治療室に案内されると、今までとは明らかに姿が違う弟がそこにはいました。
今晩は弟のそばにいてもいいですかと看護士さんに尋ねると、その許可をいただけました。母と私が一晩過ごせるよう、少し病室を綺麗にするとのことで、一旦部屋から出ることにしました。
待合室で10分ほど待っていると、看護士さんが走って待合室にやってきました。
「容体が急変しました」
そこからはまるで映画の中のワンシーンを外から見ているかのようでした。
どんどん脈が弱くなり、顔色が悪くなってくる弟。
「大好きだよ」
それだけを伝えた後、弟は、そのまま安らかに、眠りにつきました。
穏やかな、穏やかな顔をしていました。
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