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6週間42日目を迎えて。モナコ公国のお姫様。パリで出会った異世界人との思い出話。

タイトルの通り、お陰様でなんとかつづいております。段々写真が増えてきて壁にはっても小さくなってきましたね。ニヤニヤして眺めております。

いつもこんな他愛のない報告まで見てくれる方に写真以外に人に話せる価値ある話がないかなと考えた結果、パリに来なかったら出会わなかったであろう異世界の人に一瞬触れたお話をしたいと思います。

3分で読めるモナコ公国のお姫様に会ったお話。

私が中堅のアトリエではたらいていた時に研修生が入ってきました。名前はポーリーヌ。いつも通りどこかのファッションの学校の学生です。しかし周りの同僚はなぜかいろめきだっていました。

話を聞くとどうやらモナコ大公の姪っ子のようです。
また彼女の母のステファニーがモナコ皇室でなかなか有名な方でフランスで知らない人はいないとの事。大公の妹であるステファニーさんは17歳の時に母であるグレースケリーの運転する車に同乗しており転落事故に遭遇。母は死亡し、彼女は生き残りました。母の死から3年後には歌手デビュー。フランス人なら誰でもしっているヒット曲をだし、その後ボディガードと結婚(ポーリーヌの父)二人の子供を持つも離婚。その後サーカス団員と再婚。離婚。その後別のサーカス団員と事実婚。王位継承権のない娘を出産。別離。
日焼けした肌に体のあちこちにタトウー。
私の想像していた皇族の遥か上をいく有名人でした。(気になる方はウィキペディアを読んでください)

とまあポーリーヌの母がうちのブランドのクライアントだったので研修をする事になったのですが彼女側から条件を与えられていました。それは「必ずクリエイターと直に仕事をさせてもらう事」
その条件を聞いたとき研修生が条件!?何様!?とビックリしたのを覚えています。
うちのアトリエは平和で小さな組織だったのでこの条件をつけなくても割とクリエイターとの距離は近いのですがビッグメゾンだと確かにこの条件をつけないと研修生はピラミッドの一番下なので確かにたいした仕事はさせてもらえません。
そんないばらの研修生ライフを私はもう歩んだあとだったのでそんな条件つけてくる彼女が羨ましかったのをおぼえています。

さてうちのブランドはパリコレで公式でショーをするくらいなのにコレクション前はLavalという田舎町に創作チームだけ1週間泊まり込みで本生産の工場をフル活用して制作するスタイルでした。社員はビジネスホテルに泊まりクリエイターは町に一軒しかない高級ホテルに止まり毎朝レンタカーで皆で畑のど真ん中にある工場に出勤。が通常運転でした。が、その年は何だか不思議でした。

研修生とクリエイターが高級ホテルに泊まりボディガード兼運転手のじいやがモナコナンバーの車で彼女を毎日送り迎え。私達は例年通りレンタカーで出勤。騒ぎを避けるために工場の工員には彼女の出自は秘密でしたが謎のモナコナンバーの男は週末頃には工員もあやしみだしていました。

と、まあ面白かったずれはそれくらいでポーリーヌ自身は明るく全く高飛車感のない良い子女でした。普通にタメ口で学生生活についてフランクに話し(仏語にも敬語があるのです)普通に下の名前で呼び普通に仕事も頼みました。グレースケリーの孫と長野の炭焼き爺さんの孫が交錯する人生。人生何が起こるかわからないですね。

研修を終え、ニューヨークの学校に戻りこの2年後位にマイブランドALTERを起ち上げて世界中のプレスをよんでファッションショーをしていました。

とまあ庶民との格差を感じたけどちゃんと性格よさそうな子女だったよ。という落ちのないはなしです。

因みにフランス留学してる私が庶民じゃない疑惑を持ってる方いるかもしれませんが長野の田舎で両親の所得は二人合わせて多分額面34万くらい。私が高校受験直前にバブルの煽りを受けて二人同時にクビを切られ1年後位に二人共再就職。仏留学は日本での正社員社会人(手取り18万)2年間の間にダブルワーク(清掃とか土日のコンビニとか)で200万貯めて仲介業者を通さず手続きを全部自力でやって安く済ませました。うん。やっぱり自分は庶民だと思う。

最後まで読んでくれたそこの貴方!!神!!





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