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都会と田舎の教育格差について

過去下記のような記事を見てきて、概ね共感しつつ、都会と田舎の教育をどちらも経験したことがある自分も文章を書いてみたく思った。教育格差というより大きくは周囲の価値観の差、または場所や情報へのアクセスの格差に起因する機会の格差に起因するものであり、都会に住んでいても経済格差もあるため、田舎も悪いもんじゃないぞという内容である。


背景

私は石川県で生まれ育った。父の転勤により、能登地方にも加賀地方にも住んだ事があり、県内を三箇所ほど点々としていたので故郷がどこかと言われると難しい。

最初に育った町は能登半島にある今は合併してなくなった町であり、町に唯一あった中学校は統廃合されている。当時はコンビニ、書店、大手スーパーがなかったので、発売日に自分の町でジャンプが買えなかった。近所のスーパーではなぜか賞味期限切れのものもたびたび陳列され、値引シールのものばかりを買うと店員に怒られる。通学路にはやたら魚臭く、コバエが飛んでいる魚屋があり、当時小学生だった私は息をしないように足早に通り過ぎていた。夏にはアパートの横の小川に蛍が、冬には通学路に雪虫が飛んでおり、この町で私は、3歳から小学4年生まで暮らした。

次に住んだのは比較的、県庁所在地である金沢に車でアクセスしやすい町で、ここもまた合併してなくなってしまった。山に近いので親の同伴なしでもスキーに行ける、なんていう校則があった。頻繁に熊が出るので、熊が出た日は集団下校をする。中学生になっても子供たちだけで学区外に出てはいけないという決まりがあるので、隣町のゲームセンターでプリクラを撮る際には警察に補導されないかヒヤヒヤしていた。金沢まで行くときは「チン電」と呼ばれる30分に1本しか電車が来ない北陸鉄道に乗って、「街」と呼ばれる繁華街「片町」へ出かける。一面田んぼの中を自転車で爆走して片道4.5kmほどの中学まで通っており、雪の日はバスを使ったが、バスは1日2本だけ運行していた。この町で私は小学4年生から中学3年生まで暮らした。

中3の夏以降は東京に面した埼玉県の都市に引っ越し、以降社会人になるまでそこで暮らした。比較的治安が良くない田園地域で転校前はかなりビビっていたものの、特にいじめなどにもあう事がなく、中学校には半年しか通っていないものの穏やかな学校だったと思う。東京にも千葉にも自転車で行ける距離だった。

田舎の小学校

正直ここは都会でも田舎でもそんなに大差はないと思う。ただ田舎ながらの楽しみがたくさんあった。将来子育てをするなら田舎でしたいぐらいだ。

休み時間は学校が所有する山に秘密基地を作ったり、木の蔓に捕まり崖をよじ登るのが家への近道だったりなど、いろんなコースで帰路に着くのが冒険みたいだった。山にはグミの木や椎の木があり、対して美味しくはないがグミの実や椎の実を食べた。道に天然のふきのとうやドクダミが生えていて、採取して帰ろうか悩んだ。

先生たちも遊び心があり、そんな自然豊かな環境を活用したイベントをよく運営したり募集していた。雪山をスノーシューで歩くイベントだったり、狭い天然の鍾乳洞を探検するイベントに参加して、落ちていた天然の水晶の原石を持ち帰ったことがある(指導教員の了承済み)。

また市町村の予算の関係か、学校や地域の図書館がものすごく充実していた。地域の図書館においては個別の自習ブースがあったり、当時にしては珍しい、バーコードをピッと読み込むことで本を借りる事ができる、明るいイメージの綺麗な学校図書館だった。面白い新刊が続々入り、どんなに読んでもまだ読みたい本がたくさんあるような蔵書数で、学校の司書さんにおすすめの本を聞くのも好きだった。当時は休み時間や帰宅した後など、狂ったように本を読んでいて、ほぼ毎日、貸出上限数までの貸し借りを続けていたので、学年で2番目くらいの貸出数だったように思う。学校で毎朝読書タイムがあったり、教室の後ろに読書カードを吊るしたりなど、読書への気合の入れ方も大きかった。受験では国語がトップクラスに得意だったのだけれど、心から読書のおかげだと思っている。

また、そもそも県内に私立小学校、国立小学校が1つしかないので小学校受験とは無縁だった。中学校に関しては、当時中高一貫校が二校だけあったが、抽選倍率がかなり高いと言われていたり家から遠いこともあり、ほとんど考えなかった。同学年の中から一人だけ中高一貫に進んでいたように思う。

塾や通信教育としては、くもんに行っている人、そろばんをしている人、こどもちゃれんじなどをしている人がいた。そろばんをしている子は例外なく算数や数学が得意で羨ましかった。私は母が当時学研の販売員をやっていたこともあり、学研における「学習」という文系コースを受講していた。(付録が豪華だったので。)

近所に比較的クローズドに自宅内で運営されている英語教室があり、友達みんなが行っていることもあって、行きたいと主張したことをきっかけに、まずは基礎英語IというNHKのラジオを聴き、300円ほどのテキストを毎月買ってもらい、毎日18時には必ず家に帰宅するようにして1年間やっていた。シャドーイングの効果で当時の自分としてはだいぶ英語ができるようになり、感覚で受けた英検4級に合格した。すっかり調子に乗り、その後は英語教室に通いつつもラジオを聞き続け、お年玉で英検のテキストを揃えて、朝5時に起きて布団で勉強していた。小6で英検3級を取得すると地方ではだいぶチヤホヤされるので、将来は英語を使った仕事がしたいと思い、大学では英語を勉強したいと思うようになった。

また小学生時代から繰り返し「自宅から通える国公立」「私立なんて絶対に無理」「公務員はいいぞ」と言われ続けていて、すっかり国公立志向になっていた。なお似た感じの親が多いためか、14歳の立志式で、華やかな同級生たちが複数、将来の夢に「公務員」と書いていて、中学生にしては現実的すぎると思っていた。 なんとなく都会は怖いイメージがあり、別世界のように感じられたので県外のことは一切考えていなかった。

そんなこともあって小学生の頃から、県内にある金沢大学の中ならどの学部に行こうかぼんやり考えていた。

田舎の中学校

学校で配られるワークをテスト前までに3回繰り返すように指導され、ノートの切れ端を縦長に回答欄に貼って、忠実に3回繰り返していた。ちゃんとやっているか見るためにテスト期間にワークを先生に提出する必要もあった。テスト前には毎回勉強のスケジュールを立てる紙が配られ、素直なので毎回しっかり書いて、概ねスケジュール通りにやっていた。

また、475点を超えるとスーパー校長賞、450点を超えると校長賞という賞状がもらえ、ネーミングセンスに苦笑しつつも全校生徒が参加する集会で該当者の名前が呼ばれていた。また成績は10段階評価だった。

厚物(あつもの)と呼ばれる分厚い参考書が中学2年時に5教科配られ、これまた受験までに3回繰り返すように指導され、これも提出必須だった。厚物に加え、セミナーという厚物の内容に準じたプリントも配布され、やっていた。中3の夏休みの宿題は、五教科の厚物において全て2回目をやり通す事だったはず。

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これらの取り組みのおかげか石川県は全国でも基礎学力調査でトップに近い成績を毎年出している。全体的に課題の量が多く、成績が良い子とそうではない子の差が都会と比べると比較的小さかった。

加えて、「勉強ができる人はダサい」という価値観が学校内になかった。なぜなら当時ほかに成績トップクラスだった女の子達が運動部、かつばちばちにイケイケグループに属していて、彼女たちの立ち回りもうまかったからである。

塾が近くにないこともあり、トップクラスの子で塾に行っている人はほとんどいなかった。金沢の方には学習塾があったが、公共交通機関の運行数や駅が少ない関係で親の送り迎えが必要であり、共働きだとなかなか通うのが難しい。また県内において進学実績、偏差値ともに高い私立高校はほとんどないので、私立はあくまで滑り止めといった意識が強く、ほとんどの子が公立第一志望であった。

都会の中学校

そして埼玉県に引っ越してきたわけだが、高3夏休みの課題の量が10分の1くらいのペラッペラのワークで拍子抜けをした。トップ校を目指す子たちは塾の夏期講習があったり、塾からの大量の課題があったり、早々から過去問演習をしているためかと思う。

学校でトップクラスの子たちはみんな塾に行っていた。田舎では塾が学校の補助といった位置付けだったので、学校と塾の優先順位がまるで違うことに本当にカルチャーショックを受けた。宿題も強制力、量ともにあまりなく、学校での順位も意味がないからか成績順を特別発表されることもなかった。

私に関しては都会の受験事情が分からないので、夏から進研ゼミを取っていた。進路指導面談で第一志望の話をすると、普通の公立高校なものの担任の先生に「あそこは医者や弁護士の親だらけだから(※実際そんなことはない)」、「あなたは天才ではないので〇〇高校にはいけない」と言われた。また学校見学に行っても、内申点に関して「県によって基準が違うのでほとんど意味ないですね」と公立校の面談で言われたこともある。塾に行かず、田舎から半年で都会のトップ校を受けようとするとこんな扱いを受けるのかと衝撃を受けた。学校の成績や内申点、模試の結果としては十分に足りていたのに、それが通用しないならどうしたらいいんだと思い、公立校の教育においても塾の影響がかなり大きいように思えた。

また近所の図書館も学校の図書館も暗く、蔵書数が少なかったため、あんなに狂ったように本を読んでいたのに、引っ越した後はほとんど行った記憶がない。

また都会の公立中にフルで通った妹から、「勉強ができるとダサい。ガリ勉。陽キャグループに入れない。」といった話を聞いてショックを受けた。おしゃれでイケてる子は勉強ができないなんて価値観、経済環境によらず万人が等しい環境で挑戦できる、(私が経験した)田舎にはなかったように思う。

都会といっても東京のベットタウンであったこともあるものの、中学校において将来の進路に影響を与える出来事も特になく、周囲の友達の親や友達、先生から受ける影響もそれほどなかった。都心だとまた違ったのかもしれないが、たとえ親の職場が都心にあったとしても、都心に住居を持てる家庭は経済的にかなり限られるかと思う。

そのため私が経験した限りでは、公立中学校における教育格差は、田舎の方が経済格差の影響を受ける事がなく、教育レベルとしても高いように思う。

都会の高校

第一志望だった高校に進学した。私服で通学し、行事が盛んなちょっと変な高校だった。毎年スポーツ祭が3日間あり、文化祭が2部制で3日間あり、衣装も楽譜も生徒が作ってしまうような合唱祭があったりなど、勉強だけできる人より、個性を活かしてクリエイティブ分野で活躍している人がリスペクトされる環境だった。私の場合、もろ染まってしまい、勉強そっちのけで部活と行事を全力で楽しんでいた。

そういう背景もあり、学年の半分くらいが浪人していた。私も浪人したわけだが、女でも浪人していいのかと思えたり、浪人に抵抗がなかったのは環境のおかげである。地方の年配の方には「女に学歴なんていらない」、「女が浪人なんて」と暗に言われた。

はたまた地方だと比較的、安全思考が強い気がするものの、母校ではE判定でもワンチャン受かる!というような方針だったので、無謀な国公立に一年目は出した。E判定でも特攻できるのは、滑り止めの私大に進学することが可能だったり、浪人が許されるからだと思っている。地方だと私立の受験すら許してもらえない場合もあり、ワンランク下に落として受験したりする。なお私の場合も親はまだ地方の考え方のままでいるので、現役浪人ともにほぼ国公立一本の受験だった。

校門では毎日のように、駿台・河合・代ゼミ・東進といった塾や予備校が10校ほど、毎日代わる代わるおまけ付きのビラを配布しており、私の文房具は大方そこでもらったもので構成されていた。ほとんど学校の最寄り駅にある塾や予備校であったこともあり、高3のころには皆、当たり前のように塾や予備校に通う。

私大一本にしたり、私大に進学する友人も多く、浪人、私大、塾、予備校に関する価値観は地方と都会でかなり違うと思う。その分、進路の選択肢は確かに多いかもしれない。なお親は地方の考え方のままだったものの、周りのみんなの思考に影響されると、反論して説得してでも浪人を選ぶことができた。

また、進路指導重点校に指定されていたこともあり、大学の模擬講義を校内で受ける事ができ、そこで中央大の法学部の授業を受けて大変魅力的に映った私は法学部に行くことを決めた。学問的に面白いように思った。

また課外活動で私もAO入試や学部選択に役立ちそうな大会や活動に参加し、これらは進路を考えるきっかけに強く影響したように思う。それらの大会には地方の公立高校の生徒も何校か参加していたものの、東京へのアクセスが良いということは機会へのアクセスも良いということだと確かに感じた。高校の課外活動においては地域間格差はあるのかもしれない。

ただ、そういった課外活動に参加するにあたって、出場校の大半は私立高校であり肩身が狭かった。最上位の私立、国立の中高一貫生に出会う事も多く、それらの高校が常連校かつ強豪校なので、正直異世界の方々のように思えてしまい、ものすごく遠く感じた。あんなに大好きで得意だった英語も、帰国子女や高校留学経験者を前にすると霞んでしまう。

そんな経験もあり、AO入試や進路、海外につながるきっかけがあったり、華やかな課外活動経験があるのは、都会の中高一貫、附属生に多くの場合は限定されるのかもしれないと、都会と田舎の格差の記事を見ていて少し思ったりする。特に大学の附属校の生徒は受験勉強をする必要がないので、その期間に進路に関する活動を多くやっており、そういう子たちが新聞にのったりしていた。

なお、田舎にはそんな高校はあまりなく、その分、当初私が行こうとしていた県立泉丘高校において、令和2年度は国公立に現役234人、浪人69人、そのうち東大京大・旧帝一工で現役100人越えと恐ろしく良い進学実績を出している。

地方の公立高校の進学実績を見ると、いかに現役志向、国公立至上主義かが伝わるかと思う。田舎にいたままだとまた違った人生だったのかもしれない。

なお万が一、第一志望が残念な結果に終わってしまった場合、地方の人は下宿費を意識し、都会の私立ではなく、後期試験で受かった地方国公立を選ぶことが多い。なお女の場合は周囲からの地元志向の重圧がより強いために、地元の私立短大や高卒での地元就職を選んだりもする。地方出身の予備校の同級生は、私立を一つも受けておらず、「落ちたら就職」と言われていたために、実際に就職を選んでいた。

なお大学以降においては都会に出てくる人も多いので省略したいと思う。

終わりに

私が育った町が比較的まだ栄えていた方だったかもしれない。それなり田舎な方なはずだとは思うものの、地方公立の教育レベルはかなり高かったので、教育格差という言葉を目にすると私は違和感を感じる。

地方の教育の格差というより、進学面や進路において長年受け継がれてきた価値観の格差の方が根深いように思う。場所や情報へのアクセスの格差に起因する機会の格差も確かにあるので、これらは教育従事者に早急に是正をお願いしたい。

都会には機会と質の高いサービス、選択肢が豊富にあるため、うまく活かせば得意や個性をより伸ばせて、飛び抜けた子をより伸ばせるかもしれない。ただ、それらを活かすには資金が必要で、活かすことができるのは一部のみではないだろうか。一方田舎は、公教育において、万人を一斉に育てることに長けている。

田舎に育てられた結果、今の私がいる。
私は結構、田舎が好きだ。

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