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あの日飲んだ珈琲の名前をわたしは一生忘れない。

「私、珈琲がなければ生まれていなかったんです。」

バリ島のコーヒー農園でコーヒーチェリーの収穫をしていた私が思わず口にした。


時はさかのぼり、約30年前。宮崎の喫茶店。

アルバイトの女性とそのお店の常連だった男性。その二人をマスターが引き合わせ、めでたく結婚。3人の女の子を授かった。


そう、その真ん中が私。

そんな私は20歳になるまではそんなに珈琲との距離が近くなかった。

転機はあの日。大雨だった。

母の日のプレゼントを買いに、コーヒーチェーン店へ寄ったのだ。

すぐさま駆け寄って傘袋を差しだしてくれた店員さんは、黒のエプロンを着ていた。

当時珈琲に関して無知だった私。母の好みを伝えるだけで精一杯だった。

それでもその少ない情報だけでピッタリの珈琲を選んでくださった店員さん。その接客や珈琲の味に感動した私。その珈琲の名前を私は一生忘れないだろう。


私は黒いエプロンを二回しか着なかった。

あの店員さんを目指して入ったアルバイトで挫折した。

キラキラして見える世界だが、現実は甘くない。

高い接客スキルもスピードも求められる。マルチタスクな上に自分で考えて行動し続けなければならない。

毎日頭がパンクした。日に日に神経がすり減っていった。

気づいたときには手遅れで。意地で猛勉強した末、やっと手に入れた黒いエプロン。今はクローゼットの中で眠っている。

あの珈琲のようにほろ苦い思い出だ。



珈琲には人と人を繋げる力がある。

コーヒーチェーン店を辞めてすぐ、私は間借り喫茶を始めた。

ご縁がご縁を呼び、素敵な古民家で大好きな珈琲を淹れる機会に恵まれたのだ。

ここでは自分の珈琲を突き詰められた。ひとりひとりのお客様とも向き合える。

母と父が出会った喫茶店のメニューを再現した。

一枚一枚、手書きの豆カードも用意して、妥協せず自分のやりたいことを突き詰めた。

その甲斐あって、とても素敵な空間が広がることに。

嬉しい言葉もたくさんいただけてホクホクだった。




けれど、その幸せも長くは続かず。


また、鬱がやってきて営業がままならぬ状態に。

精神的に追い込まれていた。


そこから2年、底も味わい酸いも甘いもに苦いも痛いほど味わう。


だから、次の挑戦だって様々なことがあると思う。

それでも全部やって味わってやる。

という思いで、ついに明日ふく珈琲第2章、

オンラインショップOPEN!

ずっとあたため続け、準備し続けたオンラインショップ。


私自身が1番ワクワクしていて。


小さく深くやっていく。今回も妥協しない。


もし、興味のある方はショップを覗いてみていただきたい。それだけでも嬉しい。



※本当はメンバーシップ向けの記事だが、オンラインショップOPEN記念で期間限定限定公開中!







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