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世界30ヶ国を旅する中で出会った数々の声を掌に掬う

30歳になった今年、世界30ヶ国目のメキシコを訪れた。

小学三年生のときの社会の先生が、授業中に古代中国についてのプリントを配ってくれた。
そこには古代中国についての問題だけでなく、彼自身が実際に万里の長城に登った若かりし頃の写真が載っていた。
そのとき歴史上の場所は教科書の話ではなくて本当に訪れることができるのだと衝撃を受け、「自分の目で見てみたい」と思うようになった。

日本にいたときはあまり家族と旅行に行く機会はなかったが、オランダに住んでいたときは子どもたちに色々なものを見せようと、ヨーロッパの国々に連れて行ってもらった。
小中学生の頃はルーブル美術館の真の価値を理解するにはまだ早く、マルタ島で泳いだり、フィンランドでサンタさんに会いに行ったのが一番記憶に残っている。
日本に帰ってからも収集心高い性格が相まって、学部時代には学生団体でアジア、社会人になってからはベリーダンスにハマり中東、今回の大学院生活では未踏だったアメリカ大陸を自分の希望で訪れた。



旅をするときのルールは特にない。
観光地もたくさん行く。その場所がなぜその国の有名な観光地とされているのかということから学ぶことはたくさんある。
周りの国の人、そしてその国自身何を価値としているかがよく分かる。
そして訪問したことがある国の人に会ったときは、「あなたの国に行ったことあるよ」と伝えるようにしている。
自分の国に来てくれるのは、やはり嬉しい。

なるべく何か買うようにはしている。
小さいときは猫が好きだったので、猫の置物を集めていた。
大人になってからはその国でポストカードを買い、現地の郵便局から日本へ送るようにしている。
生活の中で発生するお金を払ってみて分かることが色々ある。
切手が郵便局でしか手に入らないのに郵便局にも置いていなかったとき。
郵便が機能しないことが当たり前で、一ヶ月近く経って忘れた頃に家に届いたとき。
一方で、ほとんどの国は日本と違って切手もクレジットカードで買えるなんて実務的なこともある。

ポストカードを一枚七ドルで売り付けられたこともあった。
私の視点から見ると、観光に来て毎回値段交渉をしないといけないのはとても疲れる。その国の印象に関わるだろうと思う。
でもお店の人の視点から見ると、私は通りすがりにたまたま出会った人で、私に安い価格で売る恩義や関係性はちっともない。
私はふらりとその国を訪れることができる観光客で、向こうは生活がかかっているのだ。値段交渉とは生きることなのである。



この一年、大学院で公平性の概念を学んだことで、見える世界は激変した。
中東や中南米に行くときは「治安悪そうだけど大丈夫?」と周りに心配されることが多く、自分も旅行前日の夜寝るときに心配になっていた。
それでも実際に訪れると「治安が悪い」と一括りにした言葉の背景に、どう治安が悪いのか、その国ではなぜ治安が悪いのか、どういう歴史や制度が積み重なっているのかという違いがあることを自分の肌で体感した。
「治安が悪い」というのはホームレスが多いということもあったし、スリや強盗が多いということもあったし、銃が普及しているということもあった。
治安の悪さの背景を見ていくと、格差が大きければ大きいほど治安が悪かった。裕福な層と貧困層が隣同士にいる場所ほど治安が悪い。
富を得ていて周りに分け与えようとしない人からは、強奪するしか方法がないのだ。今住んでいるアメリカも格差が激しく、怖い方に入る。



地球はひとつだ。
お金は循環するけど、地球上の資源は有限である。
一人のお金持ちが巨額の富をもって地球上の資源を買い占めれば、その人は一時的には相対的に幸せだろう。
でも一人がすべてを買い占めてしまうと、それ以外の人はその人から奪うことしかできなくなってしまうのだ。
こうして治安は悪くなり、貧しい人だけではなく、富む人にとっても危険で疑心暗鬼な世界が生まれる。

資源の差というのは観光で訪れたとしても、身近なところで現れる。
例えば、トイレにトイレットペーパーを流せる国と流せない国がある。
私の国と、相手の国を分けて考えると、トイレにトイレットペーパーが流せないとはなんて不便で後進的な国なのだろうと思う。
でも地球がひとつだと考えると、まったく別の風景が見えてくるのだ。
この国でトイレットペーパーが流せないのは、私のせいなのである。
私が住んでいる国に紙を流せるようなインフラの技術や使える水が偏っているから、自分の周りだけ紙が流せて、ここでは流せないのだ。

インフラだけではない。
日本人が誇りに思っている美味しい食材。
どの家庭でも浸かることができるお風呂や、旅先での温泉。
その国の発展が遅いだけだと自己責任論をかざすのは簡単だが、それでは地球全体で見たときの自分を含めた全員の安全や幸福は高まらない。

この資源の差は今日生まれたものではない。
歴史的な格差がどんどん積み重なっていったもので、今でも無自覚に積み上がっている。



27ヶ国目のエジプトを訪れた直後にコロナが広がり、しばらくどこにも行けず、そこから二年半待ってアメリカに留学に来た。
家族や会社の意思ではなく、自分の意思で海外に住むということはとても新鮮で、住むこと自体が旅のようだった。
そして60ヶ国からアメリカに集まった同級生から様々なことを学んでいる。

私にはカザフスタン人の友達がいる。
カヤック好きでたまたま仲良くなったのだけれど、実は彼女は母国で子どもたちのデジタル格差を埋めようとしていて、その行動でカザフスタンのフォーブス30に載っている子だ。
彼女はモノやサービスを買うときに、誰がどういうストーリーを語りながら売っているのかということを本当によく見ている。

ある日、私はボストンの観光名所として有名なイザベラ・ステュアート・ガードナー美術館に行ってきた。
資産家が世界中から集めた芸術品を私有の美術館で展示していて、日本や中国からの展示物の置き方は少し雑だなと思ったものの、菊に溢れた中庭は本当に美しかった。
私が美術館が美しかったという話を彼女にしても、彼女は美術館に行きたい素振りを見せない。理由を聞くと、彼女はぽつりこう言った。
「私、お金持ちの人が色々な文化圏から独りよがりに物を集めているのを見ると、鳥肌が立つんだよね」と。

そのとき地球上で消されかけていた千差万別の声が湧き上がり、私は美術館を美しいと思ったことを恥じた。
彼女は富む人が他の国の文化物を買い占め、そこからさらに資産を築こうとしているストーリーを感じ取っていたのだ。
こうして今日も彼女は、学生が一生懸命手掛けたTシャツや、地元のカザフスタンの人がつくったアクセサリーを買って、身に纏う。



言語についての価値観も変わった。
自分はアメリカンスクールに通っていたときの影響でアメリカンアクセントな英語を話すが、周りの留学生の英語の発音は様々だ。
留学生の中でもたまにアメリカやイギリスの発音に洗練された子に出会う。
気になってその子が英語を習得した背景を聞くと、もれなく西洋文化の中で綺麗な発音でないと差別されるような環境で育っていた時期がある。
真の綺麗な発音からは苦労の音がする。アイデンティティを無理やり矯正されたような。

インド人の友達に、日本ではどんな言語を話すのかと聞かれた。
いくつか簡単な挨拶を教えてあげた。「こんにちは」とか「おやすみなさい」とか。
逆にインドの地元の言語ではどういうふうに言うの?と聞いた。
彼は少し考えた後、私の目を見て言う。
「自分の地元ではHiって言っているかな」
「そうなんだ、英語がとても身近なんだね。日本人は日本語しか話さないから英語が全然上達しなくて嘆いているよ」
「日本語だけで生活が成り立つということがすごいよ。インドは植民地時代が長くて英語が入り込んでいて、僕も気づくと自分の母国語を忘れそうになってハッとする」

英語で話すということは、英語が母国語でない人にとって、本来はまったく当たり前でないのだ。
今まで英語を使わずに経済圏が成り立ってきたから英語が話せずに世界から取り残される可能性がある国もあれば、植民地時代から残る影響で英語を話す選択肢しかない国もある。
一方で英語ができると可能性が広がるから、稼げるようになるから、そういう声の裏で本来この地にあったものが忘れ去られている。
どんな背景の人であっても、どの言語を話したいかを主体的に選べる時代であるといいなと思う。



こんな歪んだ世の中で、自分の主体性を失わずに生きるとは。
アメリカ留学に来てからは日本語で話す時間の方が少なく、カナダやブラジルを旅したときも日常の延長のようで、自分の中での旅への特別感の薄れを感じていた。
そんな中、30ヶ国目のメキシコでは、たまたま日本人に多く会った。

久しぶりに平然と風俗について話す男性に会った。
留学で過ごした一年間、公平性が四本柱のうちの一つである教育大学院では、そんな人に一度も会わなかった。
日本でも、自分が選んで付き合う人の中にはそんな人はいない。
そんな価値観を持つ相手に対しては、わざわざ時間を割いてこなかったというのが正しいかもしれない。
そう考えると、今までの自分は女性軽視の人を避けてきたとも思った。
間接的にそういう人を報告したり、組織を辞めるという行為で反対意思を示したことはあったけど、直接その人に伝えたことはなかった。

男性は言う。結局風俗みたいなビジネスが一番儲かるんだよな、と。
ハーバードに行ったんだし、その後私が儲けるとしたらそういうビジネスがいいんじゃない?

今までの私だったらその場ではヘラヘラすることしかできなかったと思う。
私だって、好きでストレートに物事を伝えて相手との関係性を崩したいわけではない。
だけどずっと思っていた。違うものは、やはり違うのだ。
その場で言えなくて、後で思い返して後悔する場面を何度も経験してきた。

だからこの日、私ははっきり言った。
「私はどんなお金を積まれても、そんなことに絶対魂は売りません」と。
子どもや若い人たちに明るい未来を届けるために教育大学院に来たのに、冗談でもそんなことでお金を稼ごうとするわけがない。
私は自分のコアにある価値観を、お金のために売らない。

そんな些細な一言でも、相手が冗談で言っていたとしても、この発言を真っ直ぐ届けることにはとても勇気が必要だった。
でも脳裏に教育大学院の同級生や教授の顔が浮かんだ。
ここで男性の発言を見過ごしていては、彼らに合わせる顔がない。
初めて旅そのものではなく、自分が所属している組織、そこに流れる日常を恋しく思った。

このとき、これからどんな世界をつくりたいか日々考えることの重要性と難しさを痛感した。
一年間教育大学院で過ごしたことで間違っていることに立ち上がるのが自分の中の「当たり前」になったけど、今までのような組織に属したままだったら立ち上がらないことが「当たり前」になり、ずっと違和感を抱えたまま生きるところだった。
一方で、自分の価値観が「当たり前」の人と一緒にいて、「当たり前」でない人たちを避けていても、世界は一向に変わらないという矛盾も感じた。いつかは伝えないといけないのだ。

今まで生きてきた中でも、夫婦同性や会社に異動先や住む場所を指定されることなど、自分が所属しているシステムに巻かれて自分の主体性を明け渡している場面がたくさんあったように思う。
人は言う、「家族なんだからそのくらい我慢しなくちゃ」「お金もらって住むんだから感謝しなきゃ」と。
でも自分の人生に主体性を持つことができなければ、自身を受け入れて完全体として生きていくことは難しい。

個人の主体性は、周りとの関係性やシステムの中において脆く、守り抜くためには多くのエネルギーが必要になる。
社会の歪みはひとりひとりが願望を伝えることによって主張されないと、そこに問題があることすら認識されない。
魂を売らないと言うのは簡単だけれど、実践するのは遥かに難しい。



インドネシア人の友達。シンガポール人の友達。
私は時折「日本はもう侵略しないでね」と言われることがある。
そのとき私はなんて答えるのが正しいのか、いまだに分かっていない。
ただ「もう侵略なんてしないよ」と伝えることもできない。
個人の主体性は脆く、すぐにシステムの中に組み込まれ、そのシステムは一番影響力がある集団に最大の利益があるように、大きく渦巻いている。
家族や会社にNOと言えなくて、戦争を始めるときに初めてNOと言える人がどこにいるのだろうか。

この一年間大学院で学んでいて、英単語で日本語にぴったり訳せない言葉がいくつかあることに気がついた。
Authenticity. Vulnerability. Enabling agency.
「日本がもう侵略しない」
この大きな問いに対しては、「個人の自主性を育む、尊重する」という小さく地道な取り組みを続けることにしか解が見出せない。



30ヶ国目を旅してボストンに帰ってきたときに、重い荷物を担ぎながらふと頭の中で流れた歌があった。
小学三年生のときにオランダで通っていたアメリカンスクールの校歌だ。
転校して17年経つ今も一度も歌詞を忘れたことがないのだけれど、旅を終えて久しぶりに思い出したときに涙が流れてきた。


Children from around the world have so much to share
People in their vast varieties
We can make a better world by trying hard to see
That beautiful things are found in you and me

Tell me, tell me, where do you come from?
Tell me, tell me, where do we belong?
Together we discover ways to learn and grow
American School of The Hague, we are part of you

We can see the Himalayas, the banks along the Nile
Across the golden fields of Canada
From Japan to Singapore, from Sweden’s rocky shores
Across the outback of Australia

We can see from coast to coast, across the USA
We walk beside the people of Hong Kong
We share the visions of the faiths of ancient Holy Lands
A tapestry of rhyme within a song

From our homeland far away, to the Kingdom by the sea
Holland has become our second home
We are grateful for the chance to see what we can see
And we shall try to be all we can be

Tell me, tell me, where do you come from? (Children from around the world)
Tell me, tell me, where do we belong? (We can make the world our home)
Together we discover ways to learn and grow
American School of The Hague, we are part of you

American School of The Hagueの校歌、Tell Me, Tell Me




小学生のとき、この校歌を歌いながら、こんな世界が当たり前なのだと思っていた。
世界中から人々が集まり、それぞれの個性は祝福され、常に自分たちがどうあることがベストなのかを一緒に学んで育つ。
17年経った今、日本でもアメリカでもそれはまったく当たり前ではなく、ひとりひとりが一歩ずつ積み上げていかないものだと気づく。
でも自分たちから積み上げていかないと、その先にくる人たちにさらに大きい格差・不平等を残してしまうかもしれないのだ。

世界30ヶ国を旅するということはどの国の人でもできることではない。
こんなに旅をさせてもらって新しいことを知ることができる国に生まれたことに感謝しているし、色々な国籍の人に教えてもらったことを、日本だけでなく世界に還元できるようになりたいと思う。

格差とは。主体性とは。希望とは。

すべての人が組織や社会の中で自分らしく生きられるようにワークショップのファシリテーションやライフコーチングを提供しています。主体性・探究・Deeper Learningなどの研究も行います。サポートしていただいたお金は活動費や研究費に使わせていただきます。