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帰国子女の私が英語を学んだ理由

海外留学にあたって避けては通れないのが英語。
私はTOEFLの点数を取るための具体的な学習法は語れないのですが、英語について伝えたいことが2つあって今回の記事を書くことにしました。

まず私の今までの人生における、英語についてのファクトです。

・私は8〜13歳までオランダで過ごした帰国子女です
・18歳のときに初めてTOEFLを受けて113点を取りました
・28歳のときに2週間勉強してTOEFLを受け直し、113点を取りました

そういうわけで、この大学院受験において私の勉強奮闘記は5月下旬〜6月上旬の2週間で終わってしまいました。


上のファクトを読んだ皆さんはどう思ったでしょうか?
ファクトを読んで湧いてくる心の声に耳を傾けてみたいと思います。
「帰国子女なのだからTOEFLの点数が高いのは当たり前だ」
「帰国子女だから英語ができてずるい」

「ずるい」というのは帰国子女に対してよく使われる言葉ですが、今回の記事では「ずるい」ファクトを超えて、とある一例として帰国子女がどんなプロセスで英語を学ぶのか体感していただければと思って書きました。
私も含め、日本人の多くは「自分がどのように日本語を習得したか」の記憶がありません。
ですが、私は幸か不幸か、半分意識的に半分無意識的に「自分がどのように英語を習得したか」という記憶があります。
2017年に私の内側から文面に流れ出た、子どもの頃の記憶をご紹介します。



***





えっぐ。すうぃみんぐ。
先生の口から放たれる音は何となくそう聞こえる。
ただし、平仮名や片仮名では何とも表現できないその音を、アルファベットでどう綴るかなんて考えたことがなかった。
忘れもしない、これは私が8歳のときに家族の仕事の都合でオランダに引越し、アメリカンスクール登校初日に受けたスペリングテストの洗礼である。


日本で数回通った英会話スクールでは「ハロー。ハウアーユー?」「アイムファイン、センキュー。アンドユー?」の会話は習ったし、自分の名前をローマ字で書けるように練習もした。
Tシャツに大きく「USA」と書いてある人を見て、ローマ字で「うさぎ」と書くには「GI」が必要だよ、くらいは分かるようになっていた。
それなのに、どんなに頭の中を掘り起こしても、英会話スクールではえっぐやすうぃみんぐの書き方は一度も教えてくれなかったのだ。
周りの外国人クラスメイトがせっせと文字を書いているのを横目に心が焦り、何だか腹立たしく泣きたい気持ちになった。
えっぐ、すうぃみんぐの後は、先生が発する音が、頭の中でもはや何にも変換されなくなった。絶望である。


これが私と英語との衝撃的な出会いだ。
私は一般的に「帰国子女」と呼ばれるが、「帰国子女」には実に様々なタイプがいる。
幼い頃から外国に住んでいて自然と英語が話せたため、帰国後に苦労知らずだと勘違いされる「帰国子女」。
日本人学校に通っていたため、外国でも生活の中心が遠い日本の地だった「帰国子女」。
非英語圏に住んでいたにも関わらず、日本に帰ると英語がペラペラだと決め付けられる「帰国子女」。

そんな中、私は小学3年生まで外国と無縁で生活していたのに、ある日突然外国に連れて行かれた、アイデンティティの根幹が日本人の「帰国子女」である。
引っ越す前から自分だけ日本に残してくれと親に懇願したが、大人の事情でオランダに住むことになったのだ。
日本の友達は今頃小学校のクラブ活動を楽しんでいるのに…と思うと帰りたくてたまらなかった。


アメリカンスクールでの最初の日々は、残酷だった。
休み時間は毎日どんなに寒くても外で遊ぶことが強制されていて、私は足が遅いのにも関わらず毎日鬼ごっこをして必死に逃げないといけない。
唯一アジア人が得意である算数の授業でも、私が得意だと分かると周りの子は悪びれもせずにカンニングして功績を巻き取ってくる。


何より一番辛いのが体育の授業だ。
アメリカンスクールでは先生がペアを決めることはほとんどなく、生徒間の交渉でペアが決まる。
女の子が5人しかいない中で、私がどんなに事前に拙い英語で交渉しても、英語が流暢なボス的アメリカ人の鶴の一声で私は毎日余り者にされ、1人で受けるか男の子とペアになるしかなかった。
次第に私は学校に行きたくなくなった。


ある日、事前に体育のペアになると約束していた子から何十回目かに裏切られ、私は強張った微笑みで体育の授業を抜け出してトイレに篭城し、遂に次の日から学校へ行くことを拒否した。
そもそも私はオランダに行くことを強制されたのだ。
自分が望みもしなかった場所でなぜ毎日こんな苦労に遭わないといけないのかと思うと、理不尽さから涙が止まらない。
その間親は心配して先生と相談しており、その結果日本人学校に転校になったり、あわよくば日本に帰国できることを私は密かに期待していた。
しかし、4日後に母親が私にかけた一言は、予想とは全く違うものだった。


「あなたが英語でコミュニケーションが取れなくて、毎日学校へ行くのが辛いのは分かる。
けれど、自分が思っていることは自分で言わないといけないのよ。
誰も、お母さんの私でさえも、あなたのことを代弁してはくれないの。」


ここで誰かがあの悪い女の子たちを成敗してくれる、あるいは、私が日本に帰国できるという最後の砦は木っ端微塵にされた。
私は自分自身であの女の子たちと向き合わないといけないのだ。
日本人の私が5人の中で対等にペアを組んでもらえるようにするためには、私はアメリカ人と同等、いや凌駕するほどに英語で意見が言えないといけないのだ。
オランダに住み続けないといけない以上、それが私の使命である。


この日から私は毎日家で英語の本を読むようになった。
分からない単語があったらすぐに辞書を引くようになった。
私を仲間外れにした女の子たちにも、積極的に英単語の意味を質問した。
言語の勉強はいつ誰にとっても、コミュニケーションを取る覚悟と日々の地道な努力なのである。
英語を学び続けたことでペアが不公平に決まることも減り、授業の理解度や友達とのコミュニケーションも良くなっていった。
小学6年生の授業ではスペリングテストの習熟度がハイとミドルに分かれたが、ミドルに振り分けられるネイティブの友達がいる中で、私はハイに振り分けられたときに、ようやくえっぐとすうぃみんぐの絶望から解放された。


私が英語を学んだ理由、それは生きるためである。




***




最後に、私がこの体験を通して伝えたかったことは2つあります。

1つ目は、言語は「伝えよう」という気持ちが先にあって習得するものではないかということです。
「もし英語が嫌だな」「英語を勉強するモチベーションが上がらないな」と日本で思っている人がいたら、それは日本人ばかりのこの社会の中、そして文法から入る英語教育では正常な反応です。
だって、普通に暮らしていて英語で伝える必要がある場面がないもの。
だから一度国内でもいいから、「英語で話さないといけない」環境を体験してみてほしい。

皆さんが初めての遊びやスポーツをするときに、最初に何をしますか?
ルールブックを読み込むでしょうか?
いえ、実際に体験する中でルールを学んでいくのではないかと思います。

同じく、皆さんが小さい頃を思い出してみてください。
あなたは3歳のときにお父さんやお母さんと一緒に「これは主語です」「あれは述語です」と概念から学び始めましたか?
そうではなく一つ一つの単語を相手に伝えようと必死に口に出し、そこから短文を繰り返して、頭の中で文法を整理し始めたのはそれよりずっと後に小学生になってからだったのではないかと思います。

言語は「伝える」ためにあり、その「伝えよう」と思う気持ちがあれば、より想いが通じるようにその後いくらでも文法を身につけるものです。
だから学校の英語の勉強ができなくて悩んでいる、あるいは周りに悩んでいる人がいたら、机上での勉強漬けにするのではなく、一度「本気で英語で伝えたい」と思える体験が必要だと思っています。


2つ目は、「ずるい」と思われがちな帰国子女もまた人であり、帰国子女にとって言語習得は、他の人も人生で経験するような成長あるいはストレスの一つであるということです。

TOEFLの点数という表面的な結果だけ見ると喜ばしいかもしれませんが、英語を習得した過程は自分にとって深層的に様々な抑圧された影(シャドウ)をもたらす経験でした。
この経験を通して、例えば私はこんなシャドウと長い間向き合っています:

・初対面の人間に対して性悪説に考える「Take First」ちゃん
・自分にも相手にも厳しい「ストイック」ちゃん
・3〜5人の少人数グループを心理的に安全でないと感じる「少人数グループ避けたい」ちゃん

私は幸運にもその後の人生でこれらのシャドウについて家族や友達と話す機会があり、今ではこのシャドウがもたらす合理的な面も理解しています。
そのように捉えると、英語を習得する経験はストレスを伴う人間的な成長の一つだと見ることができます。

人間が国をまたいで移動して生活することには、多大なる肉体的・精神的なストレスがかかります。
私は引っ越した先の国で4日間の不登校を経験したタイプですが、私の体感だと(注:これはいつか具体的な数値を調べたい)周りの帰国子女の半数近くが、特に日本に帰国して学校に入ったときに疎外感、いじめ、不登校などを経験していると思います。
また、大きな不利益を被っていなくても、日本社会で「自分は帰国子女だ」と公言している人は少なく、帰国子女というバックグラウンドそのものがシャドウ化しやすくなっています。
(個人的に教育者の日野田直彦さんが肩書に堂々と「帰国子女」と書いていらっしゃってとても勇気づけられました)


私は信じています。
帰国子女であるということは大きなリソースだということを。
そして帰国子女が日本社会に還元できることもまだまだあるということを。


今の時代、あなたの子どもが帰国子女になる可能性もあります。
次にあなたが帰国子女に出会って「ずるい」と思った瞬間、それを口にする前に一度胸に手を当ててほしい。
そして英語の点数ではなく、日本とは違う文化の中で何を見たのか、何を感じたのか、何を学んだのか、に好奇心を当てて想いを巡らせてほしい。
一人一人がこのことを少し思い出すだけで、帰国子女が自分のアイデンティティを解放できて、帰国子女が持ち帰った海外からのリソースが日本の英語教育や社会全般に還元されるはずです。

そして、私も帰国子女としてこれからも堂々と生きていきたいと思います。

すべての人が組織や社会の中で自分らしく生きられるようにワークショップのファシリテーションやライフコーチングを提供しています。主体性・探究・Deeper Learningなどの研究も行います。サポートしていただいたお金は活動費や研究費に使わせていただきます。