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10代最後の夏、広場でコーヒーはじめます。

私は、わたしが生まれ育った場所がだいすきだ。

1年も離れて、そう思った。

幼少期

東京の真ん中に程近いけれど、まわりには草木の茂った公園がたくさんあって、子どもたちがみんな走り回って遊んでいて。
小さい頃に公園で作った秘密基地のことや、怖いもの見たさに、近所の畑の木いちごを盗み食いしたことなんかもよく覚えている。(笑)
とはいえ、都会は都会だ。
玄関を出たマンションの5階からは、スカイツリー、東京タワー、六本木ヒルズ、そして新宿のビル街を一望することができる。小さい頃は早起きして、みんなが寝静まっているうちに立ち入り禁止の柵を乗り越え、最高の場所に陣取ってビルの間からのぼる朝日を眺めたものだ。

とにかく、人工物と自然が入り混じる冒険にはピッタリの住宅街で私は育った。

私の家から程近い、森のような大きな公園があった。
小さい頃から両親に遊びに連れて行ってもらったり、家族みんなでお花見をしたりした場所だった。5歳の私にとっては本当に大きな森で、登れる木がたくさんあって、鯉が泳いでいる池があったりして、迷子になってしまいそうなワンダーランドだったのを覚えている。
大きな夏祭りも毎年あって家族みんなで出かけたし、地域の子ども向けのイベントなんかもたくさんあった。

その向かいには広場があって、けやきが縦三列に植わっていていて、歩いていると気持ちいい木漏れ日が差し込んでくる。
お父さんを連れ出してサッカーをしたり、縄跳びをしたり、時にはただ散歩に出て行き交う人をぼーっと眺めたりしたものだった。

東京2020 オリンピック

私は小学校6年生くらいだったろうか。突然この大きな公園の周りが白い柵で囲われた。中で何が起こっているのかはなにもわからなくて、「ここでオリンピックがあるから、公園を新しくするための工事をしているのだ」ということは聞いた。
近所がオリンピックの会場になるなんて、なんか誇らしいな。オリンピック見てみたいな、なんて。

3mくらいの柵の向こうにはなんとなく、すっごく大きくなった観客席が見えた。
そのうち、コロナが始まった。

結局競技は無観客で、オリンピックなんてあっけなく終わってしまった。本当に競技をやっていたかどうかすら分からない。

それからも、白い柵は取り外されなかった。いつまで経っても。
私の小さい頃の思い出が詰まったワンダーランドは、どこにいったんだろう。まだそこにあるだろうか、あってほしい、と願うような気持ちは日に日に大きくなっていった。

ついに私も大学生になった。柵の一部が取り外されて、あの大きな森の大部分が更地になっていることがわかった。
話によれば、オリンピック会場の条件をクリアするには一定以上の座席数が必要で、元々この公園はオリンピックに使われるはずではなかったけれど、最終調整のプラン変更で、東京の住宅街にあるこの公園を使うことになった、という。

近所で開催されることで、世界と自分を繋いでくれるような気がしていたオリンピックも、単にGDPや会社の収益の数字を大きくするだけのプロジェクトだったのかと、がっかりした。
私の幼い頃の思い出たちは、グローバルな経済プロジェクトにいとも容易く飲み込まれてしまったのだ。

知らない間に、あの森が更地になってしまった。
自分達の住むネイバーフッドが、白いフェンスの向こうで工事音に消えていく無力感は計り知れなかった。

豊かな風景を、つなぎ留める

大学で都市学、まちづくりを専攻することにした私は、この私が生まれ育った場所を、豊かなまちとしてつなぎ留めておくために何かがしたかった。

木漏れ日を浴びて人々が大切な誰かと散歩する、子どもたちが無邪気に走り回るこのまちの風景を、なんとか未来につなげていきたいと思った。

でも、真っ向からたたかうなんて到底無理だ。
私はこのまちの、公園の向かいにある広場のことを思い出した。
ここがまだ残っている。この広場に、愛おしい風景を残しておきたいと。

私が19歳になるまで、このまちの風景はずいぶんと変わった。いくつかの森や畑や草が生い茂る古い団地は、入る隙のないピカピカの大規模マンションになった。スターバックスが駅前にできた。公園の周囲には気づけば無数の新築介護施設がひしめき合っている。

この流れを止めることはできなくても、ここに住む人々に自分達で豊かな風景が作れるということを記憶に残しておいてもらうことはできないか、と私は思った。

「あ、コーヒースタンドだ。」
オランダで間借りしている一室の、勉強机の前でふと、ひらめいた。
もう、日本に帰るのが待ちきれなかった。

2023年、10代最後の夏休み。
私は小さい頃サッカーをして遊んだ、近所の広場で小さなコーヒースタンドを開く。
人々の何気ない交流や余白のなくなっていくまちで、数少ない公共、みんなのものとしての広場を、本当に『みんなのもの』として使ってみたいと思う。近所で人と出会い「やりたいこと」のアイデアを重ねていく。
音楽会、古本市、ご飯会、なんでもいい。

芝生を敷いてコーヒーを淹れ、近所の人々と繋がりながら、このまちの未来を私たちの手で育てていきたい。







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