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Art of slow living - 「ゆっくり生きる」ことで私が得た未来へのヒント。

大学2年生の一学期(2023年9月〜12月)、私は生まれて初めて「ゆっくり生きる」ことを決意した。東京で生まれ育った私は、分刻みで誰よりも効率良くタスクをこなし、とにかくどんどん目標を達成していくことだけに全エネルギーを注ぎ込む生活が当たり前だった。

オランダに来て、それだけが人間の生活ではないということに気付かされた。社会人はたいてい定時退社で、人々はなんでもない余暇の時間をとても大切にしている。自分の充電の最後の1%が切れる瞬間に何とかベットに倒れ込むのがデフォルトだった私はショックを受けたし、こんな生活も素敵だなぁと感じていた。そして、2年生になって本当に「ゆっくり生きる」ことだけを目標にして4ヶ月間生活することにした。最近何してるの?と言われて、笑顔で「いやー実はね、なにもしてません!」と答えるわけだが。これまで生産性MAXでガンガン自分を売ってきた私にとってはハードルの高い挑戦であった。
でも、数字で測れるものや履歴書にかける肩書きよりも100倍、いやそれ以上に大きな未来へのヒントを得た4ヶ月間だったので、書き残しておこうと思う。


「なにもしてない」間に私が何をしていたか、というやったことのリストはざっとこんな感じだ。

おいしいご飯を作って大切な人たちと一緒に食べる。
お菓子を作る。
ガーデニングをする。
スケッチする。
読みたかった本を読む。
ギターを弾く。
映画を見る。
旅をする。
美術館に行く。
まちあるきをする。
話したかった人に電話してキャッチアップする。

私がゆっくりすることで得たものは、自分が自分であることへの自信、そしてこれから自分という人間の土台を形作っていくであろう大事な感覚のかけらたちだ。以前よりも自分に対して客観的になったし、暮らしそのもの、目の前の風景や人々をより愛しく思えるようになった。「今」という流れていくこの瞬間に胸いっぱいに息を吸い込んで、新鮮な空気と共に胸に流れ込んでくる幸せを体に染み込ませていく感覚を知った。

「こうあるべき」から抜け出す

これまで、社会や他人から与えられた「こうあるべき」という価値観に答えるようにタスクをこなしてきて、それがなくなってからも無意識のうちに「こうあるべき」を自分の中で作り出して、そうなれない自分を否定してしまいそうになっていた。でも私は、「こうあるべき」から抜け出すことにした。全ての前提を消し去ってただ、自分の心の奥から染み出してくるものを見つめる。パッケージとして社会から与えられた価値観、生き方から一旦離れて、自分の心を覗いた。

からっぽになろう、と思った。損得勘定抜きで私はなにが好きなのか。自分にとって何が美しいのか、嬉しいのか、それを決められるようになろうと。
それで私は観察すること、スケッチを始めた。
ただ自分の好きな風景を前にして、そこに佇んで、その場所や人々が作り出す空気感に浸る。それが筆使いになって紙の上に現れる。スケッチをしている時、自分が愛しいと思う風景を前に筆を走らせながら、「そうだ、私はこれが好きなんだ」と再確認している気持ちになる。そして、完成した絵を通してその時の自分の感覚、感情がその風景を見たことのない誰かに伝わる。伝えるというのは、文章や色なんていう媒体そのものを伝えるのではない。伝えることができないけれど、どうしようもなく伝えたい、その心の奥底から湧き出てくるその響きを、絵や文章なんていう媒体に載せて、誰かの心に響かせることなんだと気づいた。

一番最近のスケッチ/ベン画 (谷中のプリン屋さん。ジブリハウスと名付けた。)


そしてある時、訳もなく自分の好きな作家やアーティストの本や映画をシャワーを浴びるようにひたすら見続け、読み続け、その世界に浸りたいと思った。自分の求めているものは、差し出されるパッケージの中には絶対にない。だから自分が美しいと思うもの、心の惹かれるものに浸って、そのかけらを拾い集め、自分で作らないといけないと、そう気づいた時だった。
日記にこんなことを書いていた。

自分の中から何かが生まれてくるまで、
色んなものを見て、
旅をしたいと思う

2023/10/20

素直さ、純粋さ、好奇心、感動すること

そうやってだんだん自分の五感と心が開いていった中で、こどもの時の心が自分の中に戻ってきた。素直さ、純粋さ、好奇心、そして一つ一つに感動することだ。こどもの時、この世界は不思議に満ちている。どこにいても、毎日が冒険だ。いつから私たちはその純粋な探究心を失ってしまうのだろう。まあ、とにかく私にはその感覚が戻ってきてよかった。手当たり次第、ぐちゃぐちゃ、バラバラに読みたい本を読み、街をふらふらして写真を撮ったり絵を描いたりした。

自分のペース、心地よい領域を掴むこと

そういえば、時間もお金もそこそこあったので、その流れで11月に一人でベネチアに行くことを決めた。初めて、自分の稼いだバイト代で知らない土地への一人旅をすることになり、これがまた大成功だった。
絶対に地元の人しか入らないようなバーで、元気な女店主が運んできてくれたカプチーノとクロワッサンを、地元のおじいちゃんたちと並んでカウンターで食べて、不思議とすごい元気をもらったり、とにかくマップも見ずにベネチア中を心ゆくまで歩き回ったり、知られざるベストスポットに朝日を見にいったり。初めて知らない人に自分のスケッチを見てもらって「アーティストね」と褒めてもらったのもベネチアだった。ヴァポレットという水上バスで声をかけてくれた地元の女の子に連絡をとり、彼女のお気に入りのバーに連れていってもらったことは何より最高の思い出だ。
心ゆくまで自分の好きなことをして、一度きりの人々との出会いを楽しみ、一つ一つの愛しい風景を心にしまっていく。世界ってこんなに美しかったっけ、と思った。
そうやって、これまで自分のできることの円の外側にあったものをどんどん自分の内側にしていった。自分の好きなことにとても素直になって、心地よい生きるペースを掴むことができた。


水上バスから見たベネチア。写真の撮り方はベネチアで学んだ。

スケッチしたり、言葉を紡いだりしている中で、表現するってどういうことなんだろうと思うようにもなった。好きなもののシャワーを浴び続けていくと、だんだんそれを自分のものとして一つ表してみたくなる。

言葉にならない感覚を言葉にしようとする努力、
言葉にならない何かを表現しようとする、言語と非言語のやりとり。

2023/10/24

ぐちゃぐちゃな私の宝箱は、まだ上手くまとまっていない。多分もう少しぐちゃぐちゃしていないといけないんだと思う。でも、ここから何かが生まれてくるという確信は間違いなく、ある。
ゆっくり生きたこの4ヶ月間は、生産性なんかを超えて、自分の一人の人間としてのあり方、そしていつの日か私が社会に提示することができるであろう、新しい世界観の土台になっていく、でっかいものだった。

見慣れた風景。暮らしの一カット。

今を大事に、ゆっくりと生きること

日々を丁寧に暮らすことで、一つの些細な出来事を形作る計り知れないストーリーの複雑さと美しさに、ふとした瞬間に思いを馳せることができるようになった。未来への鍵は、暮らし、そして人と人を見つめることにあると思わずにはいられない。それが社会の原点なのだから。
その暮らしの中で自分がどう存在しているか。自分を愛し、目の前の人を愛することができるか、それを行動に表すことができるか。それが人の価値を決めるのかもしれない。

暮らしは時空を繋ぎ、人を満たす気がする。

2023/10/23 


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