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研究テーマをもらったらどうする?:バイオ研究シミュレーション①(試薬Aはがん細胞Cに対して抑制的に作用するか)

 マナビ研究室では、これまでいろいろと研究について述べてきました。実際の研究をどう進めているかを、仮想研究課題を使ってシミュレーションしてみましょう。今回は、リンゴの皮から抽出される成分Aの精製に成功したラボに、あなたが大学院生としてやってきたという設定です。ラボの先生から「これが口腔がんの治療薬として使えるかどうかを検討するように」との研究テーマをもらいました。さて、どうやって進めていきますか?(文:小野堅太郎、挿絵:中富千尋)

1.まずは研究テーマの知識を掘り下げる

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 まずは、成分Aとは何なのかを知る必要があります。先生に「Aについて教えてください。」と言ったら、おそらく論文をどっさりと渡され「これを読んどいて」と言われるでしょう。全く貰えず、「自分で調べなよ」と言われるときもあります(小野はそうします)。逆に、逐一丁寧に教えてくれる先生もいるでしょう。いずれにせよ、論文を読んで、わからないところは質問し、PubMedなどで最新論文の追加がないかを調べなくてはいけません。

 次は、口腔がんです。口腔がんと言っても、いろんな種類があります。口腔病理学や口腔外科学のおさらいが必要です。がん細胞のセルライン(系統化された培養細胞)には何があるのか、動物実験をするならどのようなモデルが開発されているのか、などを調べます。まだ、成分Aを精製したばかりなのでヒトを対象とした臨床試験の可能性はありません。所有しているセルラインはあるのかないのか、ないなら買ってもいいか、動物実験をする予定はあるのかなど予算や設備、人員に関わることは、先生に訪ねておく必要があります。

2.過去の知見から論理的仮説を組み立てる

 下調べの結果、過去の論文で「試薬Aは非がん細胞の実験で抗酸化作用による抗炎症効果を示した」と報告されていることがわかりました。この作用メカニズムでは、抗がん剤ような強烈な細胞死を引き起こすことは期待できません。とりあえず「試薬Aが、がんの増殖を抑制するかを確かめる」ということになります。

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 既にラボ内で、口腔がん細胞Cを所有していることがわかりました。細胞Cは口腔がん研究でよく使用されている代表的なセルラインで、口腔粘膜上皮に由来する扁平上皮癌です。過去の論文で、「別の試薬Bが抗酸化作用により細胞Cの細胞増殖を抑制した」と報告されていることがわかりました。

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 よって、「試薬Aの抗酸化作用により細胞Cの細胞増殖能が抑制させる」と、暫定的な仮説を立てることができます。論理構造は以下の通りです。

①試薬Aは抗酸化作用を持っている
②細胞Cは抗酸化作用で細胞増殖が抑制される
①+②とすると
 →試薬Aは抗酸化作用で細胞Cの細胞増殖を抑制するかもしれない

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3.とにかく実験技術を身につける

 先生との話し合いで、予算がないので他のセルラインの購入はなし、in vivo(動物実験)は行わないということになりました。細胞Cの培養実験を使ったin vitro研究となります。

 まず、細胞Cを培養しなければいけませんから、クリーンベンチ・培養器の使用法・管理方法やピペットスキル・細胞数カウントの習得が必要です。培養液は何を使うのか、継体のタイミング、細胞の凍結保存、再培養の手順など、やらなければいけないことはてんこ盛りです。教員から直接指導を受ける場合もあるでしょうが、こういったことは、大学院の先輩からほとんど習うことになります。習ったことが絶対ではありません。原理・原則を理解していれば、多少の融通が利きます。新しい血清、凍結保存溶液が来れば、プロトコールを変える必要も出てきます。実験ノートにしっかり記載するだけでなく、指導の先生に報告・確認することも大事です。

4.目的を見据えた実験条件を設定する

 さて、では「どうやって細胞増殖能への影響を調べるか」となります。

 試薬Aによるがん細胞Cへの直接的な作用をみるのであれば、培養液中に試薬Aを直接入れることになります。濃度に関しては、既に試薬Aの抗酸化作用を調べた先行研究がありますので、その論文で使用されている濃度範囲を参考にすることができます。濃度は、作用を示さない十分に低い濃度から、十分に作用を示す濃度よりはるかに高い濃度まで各種用意します。この際には「段階希釈」という方法をとります。この方法をとらないと、実験にものすごく時間がかかり、安定した実験結果が得られません。

 次は、作用時間です。これも先行論文が参考になります。しかし、先行論文では非がん細胞を使用していますが、自分の研究では増殖率の高いがん細胞であるという違いがあります。今回の仮説では「増殖を抑える ≒ 細胞分裂を抑制する」ですから、細胞Cの分裂スピードを考慮に入れる必要があります。仮に平均24時間で1回分裂する(1日で2倍になる)のだとしたら、24時間以内の観察だけでは「細胞分裂の抑制効果」は小さくしか見えてきません。48時間後にも観察すれば、細胞は通常4倍になっていますから試薬Aの効果はより大きな差として見えてくるはずです。もし、積極的に細胞死を引き起こすような試薬であれば、逆に比較的短時間での観察が必要になってきます。

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5.コントロール(対照)実験を忘れるな!

 忘れてならないのは、コントロール処置実験です。これを忘れたり、不適切なコントロール処置をやってしまうと、実験すべてをやり直す羽目になります。試薬Aは水に溶けにくい疎水基を持っているために、一度、DMSO溶液に溶かす必要がありました。よって、コントロール実験群には、試薬A実験群と同濃度のDMSO溶液を入れます。試薬AをDMSOで段階希釈したものを培養液に添加する、という手順によりすべての実験群が同一のDMSO濃度になるように設定します。

 小野は疑り深いので、同時にDMSOなし実験群も行います。というのも、過去にこういった添加物が予想外の影響を及ぼして、コントロール群で大きなな変化が出て苦労した経験があるからです。DMSO溶液では今のところそんな経験はありませんが、in vivo実験でエタノールを使ったときにありました(ラットが酔っぱらった?)。

 こういうのを「ネガティブコントロール」と言います。反応しないという陰性結果を得るためです。実験によっては、絶対反応する実験群を同時に行うことがあります。もし試薬が、ある解析法(アッセイ)で全く反応がなかった場合、「このアッセイ系が失敗してたんでないの?」との疑問が生じます。これを否定するためには「ポジティブコントロール」が必要となってきます。

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 次回は、実験条件を決めた後の流れについてシミュレーションしていきます。


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