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タランティーノ版「ジャンゴ」とその後のアメリカ歯科医療の発展:歯科医療の歴史(19世紀アメリカ編③)

 1840年のボルチモア歯科医学校の設立により歯科医療は近代化していきます。そして、1845年の麻酔公開実験からのごたごたの末、笑気ガスによる麻酔が取り入れられます。開国により日本へと流れ込んできたアメリカ式歯科医療がどんなものであったかを紹介します。(小野堅太郎)

 1861年、アメリカで南北戦争が始まる。クエンティン・タランティーノ監督の映画「ジャンゴ」(2012年)の舞台はその前の1858年になる。タランティーノ監督の最近の映画は、古き良きマカロニウェスタン(特にレオーネ監督作)のパロディー(オマージュ?)で、シリアスなテーマに笑えないギャグを盛り込んだ映画が多い。ですので、以降の「ジャンゴ」はタランティーノ版であることをご承知おきいただきたい。

注)マカロニウエスタンとは、1970年前後にイタリアで作られた格安西部劇映画のことです。めちゃヒットして、その役者たちはハリウッドに返り咲きます。

 さて、本映画には「巡回歯科医」が登場する。「イングロリアス・バスターズ」で怪演したクリストフ・ヴァルツが歯科医役で冒頭から登場する。映画の舞台は、19世紀になってから始まるアフリカ黒人奴隷を使用した大規模農園です。イングロリアス・バスターズではユダヤ人を迫害するナチス党員を演じたクリストフ・ヴァルツが、今度は逆に黒人解放に理解を示す北部アメリカ系思想のドイツ人という役柄。主人公ジャンゴはオリジナルとは大きく違って黒人のジェイミー・フォックスが演じています。この二人組の敵役が黒人奴隷の元締めを行う農園主で、レオナルド・ディカプリオが演じています。ディカプリオは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で、マカロニウエスタン俳優役でヒーローを演じるので、タランティーノ監督は役者を次作で逆の性格の配役に付けるというのを意図的にやっているようです。

 この当時、広大な北アメリカ大陸の中では歯科医師が全く足りていませんでした。ですから、巡回歯科医として歯科医師はアメリカ中を回っていたわけです(ヒポクラテスもそうでした)。ボルチモア歯科医学校の創立者の一人であるハリスは、開校前はアメリカ南部でずっと巡回歯科医をやっていました。実情としては、まともな歯科医療を習っていない人たちが「歯科医師だ」と自称していたケースがかなりあったようです(これはヨーロッパでも同様です)。

 映画では、歯科医とは仮の姿で本当は「賞金稼ぎ」なのですが、ここも当時の社会状況を反映させています。というのも、この賞金稼ぎという職業が存在したのは「各地域にまともな警察がいないため、お尋ね者は裁判せずに殺してもよい」という法律がアメリカにあったからです(通称リンチ法:1770年代にバージニア州でウイリアム・リンチが私刑をやっていたことから命名、リンチの語源)。ひどい場合だと、よその地域のお尋ね者が別の地域で保安官をやっているケースもあったわけです。映画冒頭のショッキングなシーンは、これがネタになっています。

 こんなめちゃくちゃな国に日本は開国を迫られて、「黒船だ!」といって慌ててたわけです。まあ、当時は全世界、今の常識から見たらめちゃくちゃなのですが・・・。

 話がそれています。南北戦争後のアメリカ歯科医療の発展について書くのでした。映画の終盤でダイナマイトを使うシーンがありますが、アルフレッド・ノーベルによるダイナマイト発明は1866年ですのであり得ません。しかし、これはタランティーノ監督がわざとやっているのではないかと勘繰っています。というのも、「イングロリアス・バスターズ」も「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」も史実に反するハッピーエンドになっています。つまり、ラストは監督の妄想であると暗示するために時代考証をわざと壊しているように思います。あと、ディカプリオの出血が本物だとか、回転式拳銃がレミントン M1858だから全装填でも携行できるタイプとはいえ、1858は特許取得年であって販売されたのは1860年だからどうやって入手したのか...、あー、もう止めます。南北戦争がどうして勃発したかも書きたかったのですが...。

 アメリカ歯科医療の話をしましょう。

 まず、1864年にニューヨーク大歯学部出身のサンフォード・バーナムがラバーダムを開発しています。ラバーダムとは薄いゴムシートに小さな穴をあけ、金具をつけて歯に装着することで他の口腔領域を守る方法です。このラバーダムにより唾液からの細菌汚染を防げるだけでなく、治療の安全性、簡便性が大きく向上しました。アメリカでは当たり前のように行われている治療手順ですが、日本ではあまり普及していません(こんなこと言うと臨床の先生に怒られそうですが...)。小野はニューヨーク大歯学部に留学していましたが、よく火災警報が誤って鳴っていました。そうすると、このラバーダムをつけた患者が大量に路上に溢れててすごい光景だったのが印象深いです。

 ペンシルバニア州に舞台が移ります。フィラデルフィア歯科医学校、その後を一部継いだペンシルバニア歯科医学校、そして合併(吸収?)されてペンシルバニア大学歯学部となった後の卒業生たちです。

 ウイリアム・ ボンウィルはペンシルバニア歯科医学校卒の開業医です。ボンウィル三角とは「下顎骨の前歯中央と、下顎骨左右関節の頂点を結んだ三角形」のことです。下顎の成長によりこの三角形の大きさは変わりますが、(ほぼ)正三角形であるという特徴があります。4000の下顎骨標本と6000人の住民調査からわかったというのですから凄いです。一辺の長さから身長や年齢も推測できるようになりますので、法医学や考古学にも利用されています。また、彼はボンウィル三角を踏まえて「咬合器」という「口の外に口腔内の運動模型」を設計しています(ボンウィル咬合器:1887年)。新しい歯科用足ふみドリルも開発しており、とにかくアイディアマンで、安全ピンや靴紐の発明者でもあります。

 あと、重要なことですが、この頃、フィラデルフィア歯科医学校学部長を務めたジェームス・ガーレットソンが「口腔外科は一般外科から分かれるべきだ」と主張しだします。アメリカ医師会は「何言ってんの?!」となったようですが、1881年、「口腔外科を医科の一分科」として認めます。ただし、「歯科」ではないとします。ですので、歯科医は医師資格を持たなければ口腔外科ができません。過去の記事でも書きましたが、アメリカで口腔外科医になるならば「歯学部出た後に医学部に編入」する必要があります。

 1878年にエドワード・アングルがペンシルバニア歯科医学校を卒業しています。歯科学生、歯科医師ならだれでも知ってる「アングルの分類」の人で、歯科矯正の神様みたいな人です。アングルの分類とは第一大臼歯の上下の位置関係から容易に「咬み合わせ状態」を分類し、診断に使えます。1890年代に確立されました。

 アングルに1年遅れてペンシルバニア歯科医学校にやってきて、合併したペンシルバニア大学歯学部の第1期卒業生となったのが、ウィロビー・ミラーです。卒後、ドイツに渡り、なんと!なんと!コッホの元で研究します。1890(1983?)年にかれは「虫歯は食べかすの細菌が酸を作って歯を溶かしている」という「化学細菌説」を発表しました。これは、独立して1891年にグリーン・ブラックにより細菌プラークとして理論補強されていきます。いずれ虫歯だけで記事を書きます。

 映画の話をしたために、アメリカ歯科医療の歴史が駆け足となりました。いずれ個々人で記事にしたいと考えています。次回は当時の「歯科医療装置の歴史」についてまとめます。


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