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自己とは均衡のありようである

リンゴが木から落下する。

地面にボトッと落ちて、落下が止まる。

そうしてリンゴがそこに留まっているとき、リンゴにかかる重力と、それを支える地面の力が、拮抗しているわけである。

この均衡が崩れたとき、またリンゴが落下したり、転がったりするなどの「変化」が起こる。

もちろん普段の僕らは、モノをそんなふうに見たりしない。リンゴがそこにあれば、「リンゴがそこにある」と思うだけである。

でも、「そこにある」ということは、おそらく何らかの力と力が、均衡を保っているわけである。

こういうことを僕らは理科の授業とか、物理学の法則のような文脈で学ぶわけだが、案外、人間の心や行動なんかにも、同じような法則が働いているのかもしれない。

自分自身のダメさ加減に嫌気がさして、「自分を変えたい!」なんて思ったことは誰にでもあるだろう。しかし人間はなかなか変わらないもので(笑)、たいていの場合、そのダメな自分と折り合いながら生きる術を学んでいく。そうして、安定した自己を形成していく。

この時もおそらく、「変わろうとする力」と拮抗する「別の力」が働くことで、何らかの形で均衡を保っているのだろう。そしてその均衡が崩れるときに「変化」が起こる。

では、その均衡を保っている力とは何か。これがわかれば、その均衡を崩す方法もわかるはずである。

いわゆる「アンチエイジング」というのは、老化していく自然の力に対して、それに抵抗する力(アンチ)をぶつけることによって、現在のままの均衡を保とうとすることだろう。

「変わりたいけど変わらない自分」というのも、意識的にせよ無意識的にせよ、「変わろうとする力」に対して抵抗する力を、何らかの形でぶつけているはずなのだ。それによってようやく、「そのままの自分」にとどまることができる。

「変わらない自分」というと何もやっていないように思うけれど、もしかすると、それはそれで、けっこう大変な力を使っているのかもしれない。ただ、本人はそうと気付いていないだけで。

とすると、変化を生むために大切なのは「変化しようとする力」を大きくしようとすることよりも、「それに対して別の力をぶつけるのをやめること」なのかもしれない。

だがそもそも、僕らが存在していること自体が、自然や他者との均衡の証明にほかならない。

大地に立つ人間は、大地とのバランスの上に存在している。その大地が崩れれば、自分の意志などとは一切関係なく、私たちは変化せざるを得ない。そうしてまた別の均衡へと向かってゆく。これは人間関係においても同じである。

自分はいったいどのような関係の中にいて、どのような均衡を成立させているのか。

現在の自己とはその均衡のあり方そのものであり、自己の変化とはその均衡の部分的な崩壊にほかならない。

「自己」と「他者」との関係。

「自己」と「内なる自己」との関係。

「他者」と「内なる自己」との関係。

その均衡のありようを見直すことができれば、自己の存在のありようも、少しは見えてくるのかもしれない。

そして「全く変化しない自分」というのもまた、あり得ないのだということも。

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