「“よい”人生ではないかもしれんけど、なかなか“オモロイ”人生やん」(河合隼雄ほか著『こころの声を聴くー河合隼雄対話集ー』新潮文庫を読んで)
河合隼雄の言葉はスッと腑に落ちる。それは僕が彼の思想に共感しているからというだけでなく、同じ関西の出身ということも大きい気がする。
河合はどんなに切実なテーマについて話していても、スッとユーモアを挟み、場を緩ませる。それは大阪人にとっては、ほとんど「マナー」に近いものである(と僕は勝手に思っている)。
また一方で、河合の言葉からは、その内に秘めている「厳しさ」がにじみ出ずにはいない。そんな一見矛盾するようなありようを端的に表現しているのが、冒頭で語られる「オモロイ」の解釈のように思われる。
河合は、自分にとっての「オモロイ」を、次のように説明する。
彼の言う「オモロイ」は、単に「笑える」というようなことではない。「本当に楽しいことは苦しみを伴なうし、このような苦しみもコミにして「オモロイ」と表現しているのだ、と言っていい」(15頁)。そこには「生きる意味」に直結するような、深みを伴った響きがある。そしてこの対話集に一貫しているものこそ、この「オモロイ」の感覚である。
本書は河合隼雄の対話集だが、登場する相手がまた豪華。安部公房、谷川俊太郎、白洲正子、遠藤周作、村上春樹……等々。「こんなんオモロナイわけないやん」である。そして実際オモロイのだが、そのオモロイの質がまあ高い。
互いに敬意を払いつつ、それでいてどこか緊張感を孕んでいる。対話の相手は、河合との対話を存分に楽しみながらも、「ウソをついたら一瞬で見透かされる」かのような「怖さ」を同時に感じているようにも見える。
本書の中で河合が強調していることのひとつが、「自分で模索することの大切さ」である。谷川俊太郎の、「宗教の世界でも、ハウ・ツー式のもの言いが人の心をとらえているのではないか」という考えに対して、河合は次のように思いを巡らす。
厳しいことを言っているようだが、これはあらゆる苦しみを抱えた人間にとって、救いにもなり得る言葉だと思う。
もちろん、他人のアドバイスやいわゆる「ハウ・ツー」が力になることはある。しかし、「そこに“自分”を委ねてはいけない」ということだろう。
これらの河合の言葉は、まるで、情報社会で溺れそうになっている僕たちに向けて、彼から投げられた「ビート板」のようではないか。……あんまり上手じゃないな(笑)。
そして、僕の専門である時間論に通じる話もされていて、頷くことしきりであった。
他にも、苦しみを抱える人に寄り添い、勇気を与えてくれるであろう言葉がたくさん出てくる。
これは、坂本睦子が青山二郎を評した言葉を、白洲正子が紹介したものである。
なんてのもある。河合さん大好き。
あとは、「立派な親っていうのは近所迷惑ですね(笑)」(124頁)という言葉も、読んでいて思わずニヤリとしてしまった。
僕がちょっと驚いたのは、次の言葉。
これを言える人は、なかなかいない気がする。実際、「あまり傷のない人」に罪はないのだから(笑)。
けれども、この河合の鋭い指摘は、昨今のSNSの広がりによって深刻なものになっているのではないだろうか。人はまだ、SNSというものを全く理解せずに使っているのかもしれない。時々そんな風に思うこともある。
なにはともあれ、人の心に関心のある全ての人におすすめしたい一冊。
「“よい”人生ではないかもしれんけど、なかなか“オモロイ”人生やん」。
そんな風に思えたら、人はちょっと、生きやすくなるのかもしれない。
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