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「“よい”人生ではないかもしれんけど、なかなか“オモロイ”人生やん」(河合隼雄ほか著『こころの声を聴くー河合隼雄対話集ー』新潮文庫を読んで)

河合隼雄の言葉はスッと腑に落ちる。それは僕が彼の思想に共感しているからというだけでなく、同じ関西の出身ということも大きい気がする。

河合はどんなに切実なテーマについて話していても、スッとユーモアを挟み、場を緩ませる。それは大阪人にとっては、ほとんど「マナー」に近いものである(と僕は勝手に思っている)。

また一方で、河合の言葉からは、その内に秘めている「厳しさ」がにじみ出ずにはいない。そんな一見矛盾するようなありようを端的に表現しているのが、冒頭で語られる「オモロイ」の解釈のように思われる。

河合は、自分にとっての「オモロイ」を、次のように説明する。

「オモロイはおもしろいとは少しニュアンスの差があり、そこにも大切なポイントがあるように思う。オモロイという形容詞を使うとき、それは「面白い」とか「ためになる」などという判断以前、どこか腹にこたえるものがあった、何か未知のインパクトがあったことを意味し、それは知的判断としてよりは、人間全体としての反応の方に重点をおいた言葉である」

(『こころの声を聴く』11頁)

彼の言う「オモロイ」は、単に「笑える」というようなことではない。「本当に楽しいことは苦しみを伴なうし、このような苦しみもコミにして「オモロイ」と表現しているのだ、と言っていい」(15頁)。そこには「生きる意味」に直結するような、深みを伴った響きがある。そしてこの対話集に一貫しているものこそ、この「オモロイ」の感覚である。

本書は河合隼雄の対話集だが、登場する相手がまた豪華。安部公房、谷川俊太郎、白洲正子、遠藤周作、村上春樹……等々。「こんなんオモロナイわけないやん」である。そして実際オモロイのだが、そのオモロイの質がまあ高い。

互いに敬意を払いつつ、それでいてどこか緊張感を孕んでいる。対話の相手は、河合との対話を存分に楽しみながらも、「ウソをついたら一瞬で見透かされる」かのような「怖さ」を同時に感じているようにも見える。

本書の中で河合が強調していることのひとつが、「自分で模索することの大切さ」である。谷川俊太郎の、「宗教の世界でも、ハウ・ツー式のもの言いが人の心をとらえているのではないか」という考えに対して、河合は次のように思いを巡らす。

「せっかくこの世に生まれてきて、自分の魂に至る道を自分で探し出すことをせず、人の言うままにしていたのでは、何のために生まれてきたの、と言いたいところだが、宗教性を追求するのは、実にしんどいことだから無理ないな、と思ったりもする」

(『こころの声を聴く』87頁)

厳しいことを言っているようだが、これはあらゆる苦しみを抱えた人間にとって、救いにもなり得る言葉だと思う。

「こころの処方箋」は自分で探し出すより仕方ない」

(『こころの声を聴く』87頁)


「人間は他の声を聴き過ぎて、自分の声を聴き忘れているのがものすごく多いんじゃないでしょうかね」

(『こころの声を聴く』142頁)

もちろん、他人のアドバイスやいわゆる「ハウ・ツー」が力になることはある。しかし、「そこに“自分”を委ねてはいけない」ということだろう。

これらの河合の言葉は、まるで、情報社会で溺れそうになっている僕たちに向けて、彼から投げられた「ビート板」のようではないか。……あんまり上手じゃないな(笑)。

そして、僕の専門である時間論に通じる話もされていて、頷くことしきりであった。

「時間というのは、本当は人によって違うんだけれど、世界を完全に画一化して、「この仕事のために二時間使った」と言ったら、誰にも分かって、共通になります。(中略)だから時間も危険なものです。時間やお金は個性を抹殺するものすごいパワーがあって、それがこれだけ上手に世界中を流通するわけだから、各人が自分の個性を守るのは大変なことなんです。(中略)お金で買えるものはたいしたことないんです」

(『こころの声を聴く』82-83頁)

他にも、苦しみを抱える人に寄り添い、勇気を与えてくれるであろう言葉がたくさん出てくる。

「仕事だけで認められるなんて、つまらないわ。何もしないで尊敬されれば、なお立派じゃないの」「生きているだけで、いい」

(『こころの声を聴く』92頁)


これは、坂本睦子が青山二郎を評した言葉を、白洲正子が紹介したものである。

「何にもしない人というのは、なくてはならない存在なのです。(中略)ただここでむずかしいのは、本当に何もしないで金を貰うというのは素晴らしいことなんだけど、金を貰うと卑屈になったりする。堂々と何もしない、これです」

(『こころの声を聴く』98頁)

なんてのもある。河合さん大好き。

あとは、「立派な親っていうのは近所迷惑ですね(笑)」(124頁)という言葉も、読んでいて思わずニヤリとしてしまった。

僕がちょっと驚いたのは、次の言葉。

「あまり傷のない人は幸福に生きられるから、周りが傷つくんじゃないでしょうかね(笑)」

(『こころの声を聴く』276頁)

これを言える人は、なかなかいない気がする。実際、「あまり傷のない人」に罪はないのだから(笑)。

けれども、この河合の鋭い指摘は、昨今のSNSの広がりによって深刻なものになっているのではないだろうか。人はまだ、SNSというものを全く理解せずに使っているのかもしれない。時々そんな風に思うこともある。

なにはともあれ、人の心に関心のある全ての人におすすめしたい一冊。

「“よい”人生ではないかもしれんけど、なかなか“オモロイ”人生やん」。

そんな風に思えたら、人はちょっと、生きやすくなるのかもしれない。


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