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人生の優先順位 教会と家庭のバランス

読者の皆さん、お久しぶりです!(^^)!
ご無沙汰しておりました。

夏休み期間に入った為に家族との時間を大切にしたいと思い、記事を書いておりませんでした。今日からまた記事を更新していく予定ですので、よろしくお願いします。

個人的には書きたい事、語りたい内容はたくさんあるので、早く出したい気持ちが強かったのですが、神との祈りの中で「しばらく整える時」と感じており、この期間に妻と子どもと時間を多く取り、遊んだり、リラックスしておりました。

ここで大切になってくる考えが人生の優先順位になると思います。
(今日の記事はどちらかというとクリスチャン向けの内容になります)
私の主任牧師は一番に神、次に家族、次に教会、次に仕事。
と、このように教えており、私もこの優先順位に同意しております。

多くのクリスチャンが陥りやすい罠が教会の優先順位を家族や神よりも高くしてしまうことであると思います。教会運営が宗教的・伝統的・形式的・人間的になればなるほどに教会を支える働きは困難になります。
(悪魔の主要な策略の一つは家族を崩壊させることなので、家族以上に仕事等を優先しなければいけない文化を作っています)

私は牧師家庭に育ち、教会の内部の問題をよく見聞きし、自らも経験しましたが、多くの教会やクリスチャンが奉仕で疲れ、財政面で行き詰まり、人間関係でストレスを感じておりました。

そして本来は素晴らしい機能と存在意義を持つはずの教会につまずき、教会を離れ、どの教会にも属さないクリスチャンも増えてきています。

これは神や聖書の問題ではなく、教会が宗教や伝統、人間的な組織から、神が導く本質的な組織へと変わることで ある程度は回避・軽減できますが、最終的には教会の問題でもなく、個人の問題になると私は思っております。

何故なら世界中に完璧で完全な教会は一つもなく、完全に神の御心だけが教会政治に反映される教会は存在していないからです。

全ての教会は成長過程・成熟のプロセスにあります。
それは牧師やリーダー、私自身を含む全ての人も神の視点では天へと旅立つその時までが成長過程にあるからでもあります。

またどのようなリーダーにも長所と短所があり、神の啓示が深く、信仰が強い領域と、啓示が浅く、信仰が弱い領域もあります。

そして教会ごとに神の使命と役割、賜物も異なるのです。
全ての教会がより宗教的な要素を無くすことと、神の主権を認め、神の導きを教会運営に求めることはとても大事であると思いますが、かと言っても教会や牧師・リーダーに必要以上に期待したり、信頼し過ぎることも依存体質を生み、危険であるのです。

神にのみ究極的に期待し、信頼することによって教会やリーダーにつまずくことは回避できると私は思います。

感謝なことに私の牧師やリーダーは自らそのように教えてくれているので、私はもちろん教会に神が立てたリーダーを信頼していますが、究極的にはその背後に働く神にのみ完全な信頼を置いております。

その信頼が揺るぎないものであるからこそ、結果的に教会もリーダーも信頼できるのです。

そして神を優先順位一番にし、神は教会よりも家族を大切にする姿勢を喜ばれるので、その次に家族を大事にすることが出来るのです。

家族を犠牲にし続けなければならないような教会生活はどこかが間違っているのです。

そしてそれは教会やリーダーの問題である可能性もあるのですが、個人の問題である可能性もあるのです。

神はあわれみ深く、恵み深く、優しいお方です。
宗教の霊は厳しく、恐く、裁き、情け容赦ありません。

奉仕や働きをすることは大事であるのですが、どのような心の動機によって行うかがより大事であると思います。

私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
コリント人への手紙第二 9章6~8節

パウロは上記の聖句で献金のことを教えているのですが、心の動機も教えています。そして良いわざ(奉仕やミニストリー)にあふれる者とするための、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることを神はできるのです。

逆を言うと神を一番にするからこそ、あらゆる恵みがあるれるばかりに来ることで、家族も大切にした上でも溢れる恵みと祝福を持って教会を祝福できるのです。そして教会を通して全世界を祝福出来るのです。

神の恵みと祝福が制限された状態では家族も教会も継続的に大切には出来ません。

しかしそれは教会やリーダーの責任でも神の責任でもありません。

私たち個人個人の責任なのです。

しかし感謝なことに神は素晴らしいお方で私たちがへりくだり、自らの人生を神に明け渡していく時に、そして神を信頼していく時に、溢れる恵みを注いでくれるのです。

そして私たちは溢れる恵と祝福のある状態から、与える喜びを持って与える人へと内側から徐々に変えられていくのです。

無い状態から得るために与える。最初はこれでもいいのですが、ずっとその状態ではいずれ疲弊し、心が病んできます。

私たちは霊において豊かに溢れる恵みと祝福を先ず受け取り、感謝し、活性化させ、具現化する領域まで突き進まないといけないのです。

これこそが打ち破り(ブレイクスルー)なのです。

打ち破りを持って初めて、ある意味においては理想の優先順位が実際的な優先順位へと変わるのかもしれません。

私も優先順位を常に正しくコントロールはまだ出来てはいませんが、神の溢れる恵みを受け取り、良いわざにもあふれる者へと更に変えられ続けていきたいと願っています。

2020年、今が日本の時です。

今日の見出し画像 (清流で家族とのリラックスタイムをパシャリ)

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