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「関わりしろ」を、つくる、生み出す。

昨日に続いて、上勝町のカフェオーナー・東さんが書かれている、また別のコラムから。

「関係人口」という言葉が喧伝され出して、もう随分経ちますが、
その中身は玉石混交で、瞬間的な「ブーム」として扱われてしまってやいないか…という危惧みたいなものは、私も時々感じることがあります。

「関係人口」だから、必ずしも移住がゴールでなくてもいい。
まずは関わってもらえればいい。
そういう考え方に、ついついなってしまいがちで、もちろんそれが間違っているわけではないけれど、
人口減少が喫緊に手を打つべき課題である現状からすれば、
「関係人口」という言葉に甘えてしまうことは、「安易な妥協」「ゴールの下方修正」にもなりかねない。

関わってもらうのは、もちろん良いこと。
でも、先述のコラムのタイトルにもあるように、
それ以上に大事なのは、「また来たい」「また帰ってきたい」と思ってもらうこと、「関わり続けてもらう」ことで、
そうするためには、個人の善意に期待するだけではなくて、
迎え入れる側がしっかりとその「仕掛け」をつくっていくことが、絶対的に必要になってくると思います。

愛着を持って、その土地に関わり続けてもらうためには、
「自分がこの土地のために、何かできることがある」という実感を持てていることが必要なのだけれど、
そんな「関わりしろ」を、関わるヨソモノの側が自ら見つける、というのはなかなか酷な話で。
(もちろん自分で見つけられる、見つけてこれるバイタリティを持った人もいるにはいますが、あくまで少数派だと思うし、そういう人を基準にして考えるのはちょっと危険かなあ、と…)

地域側としては、ついつい「人を呼んでくる」ことにリソースを割いてしまいがちだけれど、
呼んでくること以上に、呼んできた先で何をしてもらう・どんなことに関わってもらうか、どんな人と会ってもらうか、
そういった部分の設計を緻密にやることのほうが、
その後も「関わり続けてもらう」、一度っきりの関係にならない、という意味ではクリティカルに重要だと思います。

確かに、「何人来た!」ということのほうが、目に見える成果としては分かりやすいんですけどね…。
報告書とか書くときも、ついついそっちを目立たせてしまいがちだし、
そのほうが何かと収まりも良いのだけれど、
そこに甘んじていてはいけないし、あくまで「人数」は成果ではなく、母数でしかない。
このことは、常々肝に銘じておかねばいけませんね…。

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