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「ちゃんと聞く」ことと「取り入れる」ことは、また別の話。

私がひそかに習慣にしてるなあ、と思うことがひとつあって、
それが「すべての人の話を話半分に聞く」というもの。

というとだいぶ顰蹙を買いそうなのですが、至極大真面目な話で。


それこそ就活をしてるとき、ご多分に漏れずいろんな人の話を聞くことになるわけですが、
なぜか同じ質問をしているのに、人によって全く正反対の答えが返ってくるなんてことがザラにあるわけです。
一体何が正しいんだ…?!と病みそうになって、ふと気づいたんです。

「人は自分の経験の範囲内でしかものごとを語れない」ということを。

それからは、その話はその人のどんな背景によって出てきたものなのか、ということを考えながら話を聞くようになりました。


一見正しそうに見えることでも、状況や背景が違えば自分にはあてはまらないかもしれない。
なので、等しくすべての(←ココ重要)人の話を話半分にきき、取り入れるかどうかは自分できめる。そんな話の聞き方をするようになりました。

逆にとらえると、どんな人からも学ぶことはある、ともいえると思います。
たとえ年下であっても、自分より何らかの経験が浅い人でも、その人なりの観点というのはあるし、それが自分の持っていないものだとしたら、別に立場とか経験とか関係なく、自分が学ぶ立場になるはずです。

そういう意味では、目上の人には当然ですが、年下の人にだって、話を聞くときには、真摯に・謙虚に聞かないといけないなーと(そもそも相手によって態度を変えること自体があんまりよくない)。

タイトルにも書きましたが、「ちゃんと、丁寧にお話を聞く」ことと、「お話を聞いたことを自分の中に取り入れる」ことはまったく別の話。
相手が誰であれ、等しく丁寧に聞きながらも、頭の中ではどこか冷静になっているというか、その状況を俯瞰して見ている自分がいる。そんな頭の使い方をしているのだなーと思います。

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