「やさしい」まちでなければ、生き残れない。
以前にも書いた、仙台市中心部で行われていたまちづくりの社会実験。
その振り返り的な記事がネットに出ていて、
こんな言葉がふと目に留まりました。
ショッピングモールというと、市街地空洞化の原因だなんだと、
まちづくりの文脈ではなにかと毛嫌いされがちで、
私も以前は正直そこまで良いイメージを持っていなかったけれど、
生活者の目線でいうととっても「やさしい」場所だった、ということに気づいた、ということも、以前別のnoteで書きましたが、
やっぱり子育て世代の目線で見てもそうなのだなあ、と。
どれだけ「まちづくり」だなんだ、といっても、
その場所で過ごす人にとって「やさしい」ところでなければ、
当然ながら、過ごす場所、訪れる場所として選ばれることはない。
一見さんメインの観光地ならともかく、
住民として日々を過ごす場所ならば、
刺激的な「おもしろさ」よりも、
ハズレがない「凡庸さ」のほうが、かえって安心できることもあるはずで。
いかに「おもしろい」街であるか、という視点も大事だけど、
いかに「やさしい」街であるか、ということも重要だし、
奇抜なことをしなくても、
来てくれる人にとって、いかに「やさしい」まちであれるか。
そんなことを考えるだけでも、まちは一歩ずつ過ごしやすくなると思うし、
案外そちらのほうが大事だったりするのかもしれませんね…。
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