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「やさしい」まちでなければ、生き残れない。

以前にも書いた、仙台市中心部で行われていたまちづくりの社会実験。

その振り返り的な記事がネットに出ていて、
こんな言葉がふと目に留まりました。

子育て世代の目線で、駅前で子どもを遊ばせるとしたらどんなものがいいかを考えました。駅前は買い物には来たいけれども気軽に休む場所がない欠点があります。とくに子ども連れは、休憩でカフェに行くのも難しい。だからどうしても、遊び場や休憩スペースがふんだんにある郊外のショッピングモールに行ったほうが楽なのです。

駅の真ん前に開放的な空間があると、まちなかすべてが大きなショッピングモールと捉えることができると考えます。おしゃれな店で食事や買い物をして、子どもと一緒にここで休憩ができる。しかも車に限らず、地下鉄、バスですぐにアクセスできるのがメリット。私もプライベートで2回訪れましたが、木漏れ日の中で音楽に包まれて、大人も子どもも長居したくなる心地よさがありました

ショッピングモールというと、市街地空洞化の原因だなんだと、
まちづくりの文脈ではなにかと毛嫌いされがちで、
私も以前は正直そこまで良いイメージを持っていなかったけれど、
生活者の目線でいうととっても「やさしい」場所だった、ということに気づいた、ということも、以前別のnoteで書きましたが、
やっぱり子育て世代の目線で見てもそうなのだなあ、と。


どれだけ「まちづくり」だなんだ、といっても、
その場所で過ごす人にとって「やさしい」ところでなければ、
当然ながら、過ごす場所、訪れる場所として選ばれることはない。
一見さんメインの観光地ならともかく、
住民として日々を過ごす場所ならば、
刺激的な「おもしろさ」よりも、
ハズレがない「凡庸さ」のほうが、かえって安心できることもあるはずで。

いかに「おもしろい」街であるか、という視点も大事だけど、
いかに「やさしい」街であるか、ということも重要だし、
奇抜なことをしなくても、
来てくれる人にとって、いかに「やさしい」まちであれるか。
そんなことを考えるだけでも、まちは一歩ずつ過ごしやすくなると思うし、
案外そちらのほうが大事だったりするのかもしれませんね…。

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