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目標のない人生は、つまらないか?

日々触れるエンタメ、芸能やスポーツの世界を見ていると、
大きい小さい、具体抽象の差はあれど、何かしらの「目標」や「夢」を掲げている人が多い印象で。

一方、自分はというと、何か明確な「目標」とか「夢」を持ったことが、人生全体を通して見てもあまりなくて、
せいぜい受験のときぐらい?
部活も文化部に居た時期が長かったから、明確に何かを「目指す」ということはほとんどなかったし、
社会人になってからも、営業成績を競い合うとか、会社や部署として売上○億を目指す!みたいな雰囲気がある会社ではないから、
とにかく目の前の仕事に誠実に向き合う、ということしかなくて、
「目標に向けて努力する」という習慣づけも、もしかしたら世の中の平均よりも薄いかもしれない。

目標を持つか持たないかでいうと、世間一般の価値観でいうと、おそらく「目標がある」方が良い、というのが大勢だろうし、
高校野球とかが典型ですが、「目標に向けて努力することこそ美しい」みたいな美徳もありがちですが、
では目標を持たずに日々を生きることは怠慢なのか?と言われると、もちろんそんなことはないと思っていて。


私自身の人生は、というと、目標もないから「こうありたい」という方向性もなかったし、叶ったかどうかの検証ももちろんできるわけないけど、
今の人生を過去のいつかの時点で想像できたか?と言われたら、想像できる範囲の遥か外側を進んでいるし(想像できるはずない)、
仮に何らかの目標を持っていたとしても、おそらく思った通りには全然いってないのだろうな〜と。

そういう意味では、スティーブ・ジョブズさんのかの名言が、おそらく私の人生にもピッタリ当てはまると思っていて。

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.
(将来を見据えて、点(出来事)と点(出来事)をつなげることはできません。後から振り返ってみないと、点と点をつなげることはできないのです)

So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
(だから、あなた達は、将来どうにかして点と点がつながることを信じなくてはなりません。)

人生の組み立て方というのにはいろいろな考え方があって、
小さい頃は、学校でそう教わるから、というのもあるけれど、
「何か大きな目標を立てて、そこまでに必要な要素をブレイクダウンして考える、小さな目標をひとつずつ達成していく」
というステップを思い描きがちで。
得たいものを自分の力でつかみとっていく、運命を自分の手で引き寄せていく、みたいな方が、サクセスストーリーとしても美しいし、人生譚としても魅力的なのかもしれない。

でも、実際の人生は「思いがけないこと」の積み重ねでしかないし、
その「思いがけないこと」が、後々に伏線回収のようにつながってくる、まさに「点と点がつながる(Connecting the dots)」ということも多くあって。
私自身の実感でいうと、キャリア形成(仕事遍歴)という点では特に、
「こことここがつながる?!」という意外性こそが、自分のキャリアを形作ってきているし、
なんなら「思い通りにいかなかったこと」の方が、自分のキャリアにおいては大きな影響力を与えていたりもする。

第一希望だった大学に入れなかったこと。
考えてもいなかったサークルに何故か入ろうと思ったこと。
サークルの執行部で「これだけは嫌だ」という役職を割り当てられたこと。

当時は、あまり大きな意味を持たなかった、持っていたとしてもあまりポジティブなものではなかった、これらの出来事が、
将来、自分の人生にポジティブな選択肢をもたらす伏線として機能することになるとは、もちろんその当時は想像すらできていない。
でも、そのときどきで、自分自身が納得できるように、自分自身に嘘をつくことがないように、とは考えて行動していたし、結果論だけ言えば、それでそれなりにうまくいっている。

目の前のことを誠実に、ひとつずつ着実に取り組むこと。
自分の感情にも誠実に、嘘をつかず素直でいること。
ときには流れに身を任せて進んでみること。
今までのこんな感覚たちを、これからも信じて進んでいきたいし、
今後の人生においても大事にしていきたい価値観です。



*余談*
この投稿は、下記の投稿を読んでいたときにひらめきましたが、内容的なつながりはまったくありません(笑)
でも、着想の源なので一応ご紹介しておきます。
とても興味深いテーマなので、乃木坂をご存知の方も、そうでない方も、ぜひ一度読んでいただきたい投稿です。


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