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田舎では、気負いすぎないくらいがちょうどいい。

タイトルはともかくとして、読んだ記事の中に「そりゃそうだよなあ」と思った一節があったので、今日はそんなテーマから。

「移住者が地方のコミュニティに入って『こっちの方が合理的ですよ』『今の時代、そのやり方は合いませんよ』と、良かれと思って指摘してしまうケースが多いです。地元の人にしてみれば、毎日のルーティンや馴染みのある文化を否定され、新しいものに塗り替えられようとすると、拒絶反応が起こるのは当然のこと。このような事態を招く背景には、総務省が過疎地域の活性化を目的に、移住者に『地域おこし協力隊』という肩書きを付ける場合もあるので、使命感が生まれて地元のものを変化させようとしてしまうんでしょうね」

たしかにグローバルな視点や時代の潮流を見れば、移住者の意見が正論なのかもしれない。しかし、それを一足飛びにやろうとすると失敗すると同氏は話す。

そう、確かに、都会から移住してきた人からみれば、
その地域で行われてきたことやその進め方が、
一見すると非合理的・非効率的・時代遅れで、
一刻も早く改革しなくては!という、謎の使命感にかられてしまうことって、結構あるあるだと思うんです。

でも、それってうまくいかないことのほうがほとんどで。
なぜかといえば、その土地にはその土地の「文脈」というのが長い年月をかけて培われてきているから。

海によって穫れる魚が違ったり、
地域によってよく育つ作物が違ったりするように、
その場所ごとに、住まう人と、人と人の間にある関係性というものがそれぞれあって、
その土地ごとの風習、ものごとの考え方、行われてきたことは、
そういった関係性の中で、徐々に育まれ、定着していったもの。

それを無視して、いきなり新しいことをしようとするのは、
マグロのいないであろう海に一本釣りの竿を垂らしてみたり、
北海道にバナナの木を植えてみたりするようなもので、
もしかしたら奇跡的に、いろいろな条件が重なってうまくいっちゃうこともあるかもしれないけれど、
大抵の場合はうまくいかない。

この場所に、この作物は合いそうな気がするんだけどなあ…と思っても、
まずはじっくり土を育てて、その作物が育ちやすい環境をつくっていかなければいけないから、
もし幸運なことに、最初からいい土壌・いい場所に巡り合えたら、
案外トントン拍子にいくことももしかしたらあるかもね、ぐらいで。
作物に限らず、人がやること、人間関係にも同じことは言えるのだと思います。

少しずつ、小さな成功体験を重ねていって、
この取り組みはこの場所の「土」に合う、
誰も傷つかない取り組みなんですよ、
そういうふうにわかってもらえれば、理解者・協力者は一気に増えていくから。
だからまずは、あんまり気負いすぎずに、
小さなところから少しずつ。
そんな生き方、ものごとの進め方のほうが、着実に前には進みやすいんだろうなあと思います。

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