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「好き」「おもしろい」と「学びがある」は、またちょっと違う。

これをテーマにnoteを書きたくて、ずーっとブラウザに残しておいたのですが、どうしても筆が進まなかったこちらの連載。

佐久間宣行さんが「初代編集長」として、様々な方との対談を連載していた、メガネのJINSのウェブメディア。

対談相手も、放送作家の寺坂直毅さんや、お笑いコンビ・ラランドのサーヤさんなど、個人的にめちゃめちゃ興味が惹かれる人選で、
実際、内容もめちゃめちゃおもしろくて。

でも、
「じゃあこの連載のどこをフックにしてnoteを書こう?」と考えると、
なかなか取っ掛かりが掴めぬまま、
書こう、書こうと思いながらも、書けずに気づけばもう1ヶ月以上。

「書けるはずだ」と思ってたんですよね、ずっと。
でも、今日、ふと悟りました。
「いや、これはたぶん無理だ」と。


私がnoteに書こう、言語化しようと思えるポイントって、
もちろん共感する・納得できる点があった、ということも大事ですが、
それだけではちょっと足りなくて、
決定的に大事なのが、
「今後も思い起こしたい(思い出したい)と思える、学び・教訓があった」
「書いてある言葉を噛み砕いて、自分なりに変換できるか」
ということなのだなあ、ということが、
この「無理」と悟るまでの過程を思い起こしたときに、改めて気づいた点でした。

そう考えると、
こちらの連載は、確かにおもしろかった、共感できる点もあった。
でも、言葉を受け取ったとき、その受け取った言葉から、自分なりに解釈して、新しく生まれてくる言葉はなかった。
「確かに…!」で飲み込んで、おしまいだったんですよね。
キャッチボール、ではなく、キャッチして終わり、みたいな。

もちろん、この連載が悪い、ということはなにひとつなくて、
ただ単純に、受け取る側の私が、この連載に書かれている言葉を受け取ったときに、うまく呼応する、そこから広がってくる考えや感情を、
たまたま今は持ち合わせていなかった、というだけ。
もしかしたら、数年後にこの連載を読み返してみたら、ぶわーっと書きたいことが浮かんでくるかもしれないし、
そもそも、今とは全然違う感想を持つかもしれない。


おもしろいと思うものは、思わず誰かに紹介したくなるし、
そういう意味では、この連載も、是非いろんな人に読んでほしいものではあるけれど、
それだけじゃ、個人的な基準だと、noteに書く題材としてはちょっと弱い。
自分の「noteの書き方」を再発見できたような気がして、
これはこれで、お得ですね。

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