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日々「ネタ探し」をする中で、変わったこと、変わらなかったこと。

ひょんなことからnoteで毎日更新してる方の記事を見かけて、
「自分もやってみよう!」と見切り発車で始めたのが、
ちょうど1年前の10月30日。

当時から「30分で書く」と銘打ってる割には、
30分で書けた日なんてほとんどありゃしないし、
「毎日更新」と言いつつ、いつの間にか「できるだけ」「なるべく」という前置詞がついたし、
いろいろ予定外もありながらも、これが329投稿目。

前にも少し書きましたが、11月からは「できるだけ毎日」という自分の中での縛りを外して、もう少し別のインプットに時間を充てつつ、でもコンスタントに投稿は続けていきたいな〜と。

でも、11月になっても結局更新続けそうな気がするんですよね〜。
noteさんが出してくれる「○日連続投稿しました!」の喜びには抗えない…あの仕組みはホントに上手いなあと思います。


摂取する情報への「感度」は上がった気がする

初日の投稿、改めて読み返すと、喫茶店での何気ない会話から着想した話題だったんですね。
こういう社会情勢がもう2年近く続いて、ただでさえインドア派だった自分は、もう家に引きこもることにすっかり慣れてしまって、
仕事が変わったことも相まって、誰かと話すという機会もすっかり減ってしまいました。

といいつつも、生活の質が変わった感じもしないし、
もともと「ネタ切れ」の危機は、始めた当初からありましたが、
その深刻さが人と話す機会が減ったことで増したかというと、実感としてはそんなこともなくて。

日々読んでるネットニュースとか、
ラジオを聴いていてふと考えた、感じたこととか、
日常生活の中で浮かんできた感情をキャッチする力は、こうやってできるだけ毎日書く、そのために日々書く題材を探す中で、身についてきたかなあ、と思います。

「ネタ探し」のためだけでは、行動力は上がらなかった

とはいえ、日々noteを書く、そのための「ネタ探し」を日々することで、
フットワークが軽くなったり、
何かやってなかったことを新しくやろう、みたいな考えになれるのかなあ、というのは、
始めるときの期待というか、動機のひとつとしてあったのですが、
この1年間を経ても結局そうはならなかった、というのが結論で。

noteに書くために何かする、というよりは、
日々接する情報や、起きた出来事からどうにかネタを拾おう!としている、というのは変わらなくて、
noteに書く題材になるかもしれないから、というのは、
何か新しいことを始めるモチベーションにはならなかったのだなあ、というのが実感としてあります。

もともと、自分の性格として、極稀にしか「フッ軽」にならない、
基本スペックが「めっちゃ腰が重い」タイプで、ごく限られたタイミング(ミュージカルやサッカー見に行くとか)のときだけ、異様にフットワークが軽くなる、という感じなのですが、
そのベースの「腰重さ」を払拭するまでにはいかず。
ここに関しては、もっと違うモチベーションが必要なのだなあ、ということは、ひとつの気づきでした。

noteに割く時間を少し減らそう、というのは、
そういう「他のこと」に取り組むために、まずはどうにか時間を空けよう!ということで。
ただ、ちょっとやってみて「いや、やっぱり時間の問題じゃなかった!」となったら、またnoteに使う時間があっさり増えてるかもしれません。笑

でも、割く時間を減らすといっても、
せっかくできた習慣を完全になくしたくはないので、
書く内容・テーマをある程度パターン化したりしながら、
できるだけあまり頻度を減らしすぎないように、これからも続けていきたいところです。

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