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自分に価値なんてあるのか?と自問自答している人へ

はじめまして。ポジウィルでトレーナーをしております嶋田真奈です。
このnoteでは自己紹介を兼ねて、私のこれまでの人生と、なぜポジウィルで働いているのかをお伝えします。
このnoteを読んで、一人でも多くの人が、あるがままの価値に気づき、あるべき、から、ありたい、の意志で歩めるようになってくださいますように。

私の生い立ち

私は父の仕事の関係で、東南アジアにあるマレーシアという国に生まれました。
父はいわゆる大手の日本企業に勤めており、私が育つために必要なものはなんでも与えてくれました。当時専業主婦だった母は、常に家族を第一に考え、家を守ろうとしてくれていました。また、母と同じくらい私を大事に思ってくれている姉に支えられ、誕生日や季節の行事は、家族全員で祝っていたことを覚えています。

とにかく天真爛漫に育っていた私でしたが、小学校で初めて日本に帰国してからは、帰国子女あるあるかもしれないですが、クラスに中々馴染めず、居心地の悪さを感じていました。
周囲に何を言われるか分からず怖い、という感情や、環境に素早く適応しなければ置いていかれる!と奮い立たせる性質は、この時に出来たと思います。

しかし、日本で小学校を卒業すると同時に再び父の駐在が決まり、香港へ。
英語の話せる父母姉に対して劣等感を持ちつつあった私は、迷いながらもインターナショナルスクールに通うことに決めました。

再び東南アジアへ、人生を変える出会い

私の人生の第一の転機は、この時同じバスケットボールチームにいた、女の子との出会いです。
その女の子は、仲良くなるにつれて、家庭内で暴力を振るわれることを打ち明けてくれました。

私はその時まで幸せな家庭の中でぬくぬくと育っていたため、
そのような人がいることにただただ驚き、話を聞いていることしか出来ませんでした。
何の解決もできない、無力感。これが、私の人生で初めての挫折でした。

その時のバスケ部のコーチは、今でも連絡を取るくらい、私の恩師なのですが、
結果として、そのコーチが友人の身元保証人となって、親元から一度離れて暮らすことになりました。
すると、親御さんから申し出があり、再び彼女と一緒に暮らすと、パタリと暴力は止んだのでした。

私は、この出来事から、家族の社会的支援、および教育現場との連携ということに興味を持つことになりました

対人支援を極めると決意した日

高校3年生の時の進路選択の時は、教育心理学を勉強するか、自分の好きなもの(デザインや美術)を極めるか、悩みに悩んで、結局「好きなこと」で戦っていく自信がなく、日本の大学へ入学することに決めました。

今では教育学と心理学の道を選んで、本当に良かったなと思っています。
なぜなら、大学4年生の時、私の人生に第二の転機が訪れたからです。

NPOの事業代表を務めながら、卒論の準備を行い、就活をこなし、バイトを2つ掛け持ちしていたそんな時、父と母の関係性が変わってしまいました
詳細は父と母のプライベートのために省ければと思いますが
結論から言うと、父と母はどこかでボタンを掛け違えてしまったようでした。
母は泣きながら私に相談し、ドアの閉まる音、階段の足音、父の怒鳴り声、に怯える日々でした。
そんな環境で二人の間を取り持つようになった私は、忙しさも相まって、後一歩で就職、NPOも学校も卒業というところで、心のために休息を取りました。

今はすっかり元気になったのですが、
当時の私はせっかく大学生活で身につけたものも、どこかに置いてきてしまったのか、自信を無くし、
父と母の関係を取り持てなかった私は「価値がない」と思うようになってしまいました。

また父と母の関係は、一時期修復されたように思われましたが、完全に元通りになることはなく、私が一人暮らしをしたと同時に、離婚への道を進むことになっていました。

以前まで、どこか他人事であった家族の不和が、自分に降りかかった時、世の中はこういったボタンのかけ違いで、理不尽なことが沢山起こっているな、と思うようになりました。

その中でも私が特に理不尽だと思うものは、生まれ育つ環境によって、その人の可能性が否定されたり、制限されたりしてしまうことです。
アメリカの家庭では、1世帯に1人専属でカウンセラーがいて、家庭やキャリアのどんな悩みも子供から大人まで相談できる、と言われています。
アメリカの場合、犯罪の抑制というのも背景にある気がしますが、同じような仕組みが日本にあれば、どんなに家庭やキャリアの悩みが減るだろうか、と考えました。

あの時の少女に、
あの時の父や母や姉に、
あの時の私に、手を差し伸べたい。

こう思うようになってから、私は自然と将来は対人支援への道を極めよう、と決意していました。

湖に佇む人をそっと見守る大樹のような人でありたい

この想いを確立できるまでに、キャリアの中でも様々な失敗を重ねてきました。

ファーストキャリアは、世の中にまだない仕組みを生み出す「経営者」になりたいという漠然とした思いから、ビジネスの基礎をしっかり学べるような会社に就職しました。
しかし、根底にある劣等感や比較癖を和らげられなかった私は、営業で成果をうまく残せず、自分は何が得意なんだろう?と悶々としていました。

そんな時に出会ったのが、コーチングでした。
私が本当に願っているものや、ありたい姿、自分の奥底にある特性を探求していき、次第に自分のビジョンや得意なことが見えてくるようになりました。
コーチングの専門スクールに通い、3ヶ月間、毎週伴走してくれる仲間と共に自分に向き合いました。そして初めて、

自分にはありのままで価値がある、だって、信じてくれる人がいるし、自分がそう、信じたいから。

と信じられるようになりました。

次第に人に関する専門性を高めたい、と思い、2社目へ転職するのですが、その時の私は、会社のことをよく調べずに転職を決めてしまい、また大きく失敗してしまいました。
そのしくじりエピソードはまた別の機会にでも書こうと思うのですが、
その次に出会ったのが、ポジウィルです。

私が今、ポジウィルにいる理由

初めてポジウィルを見た時の感想は「こんな会社が既に世の中にあるのか!」でした。

まさに私が思い描いていた、1世帯に1人、支援してくれる存在がいる社会に近づくための事業を、ビジネスとしてまず成り立たせていることに驚きました。
代表の金井との最終面接では「あなたはどういう人生を歩んできたの?」という質問で、嗚呼、この会社は本当に人と向き合っているんだな、と思い、入社を決めました。

ポジウィルは、単なる転職支援ではなく、生き方そのものに伴走します。

言うならば、その人の人生を受け止めるための覚悟と、
十人十色、千差万別の「ありたい」を支援するための知識が必要になってきます。
それは、非常に難易度の高いことで、未だに私は向き合えているだろうか?と自問自答する日々です。

その中で、やっぱり「自分には価値がないんじゃないか?」とふと思ってしまうこともあります。
でも、そんな感情に向き合い続けているからこそ、行動変容への努力も惜しみません

少なくとも、自分の中にある想いを抱えながら、
「価値がない」と思ってしまう自分も含めて、
周りに自己開示しながら前に進んでいる自分は、
「価値がある」と言えるんじゃないかな、と思って働いています。

私の願いは、全ての人がありのままで充分素晴らしい、と思える社会を作ることです。
ポジウィルがあるべき、を壊すことに挑戦し続ける限り、
目指したい社会に近づけていると感じられる限り、
この場所で働いていたい、と思っています。

最後に

あなたには価値がある。そう信じてくれる人と、必ず出会えます。
私は、そう信じる1人でありたいです。

もしまだそう思えていないんだとしたら、一緒に話してみませんか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さんとお話できるのを楽しみにしています!

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