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表現力のある大人であれ。「書く習慣」で学んだこと

「伝えたいことを筆に込める」

高校で書道を選択していた。

成績が心配だった私は、絵や歌より文字ならきっと良い評価を得られるだろうと考えて、書道を選んだのだった。お手本を見て字をきれいに書くのは得意だったから。

私の想定を裏切り、書道の授業お手本を見てきれいに字を書くものではなかった。そもそもお手本がなかった。

最初の授業で、「勝ちたいんや」と書かれた2枚の書を先生は見せた。阪神の星野監督の強い言葉だ。

一方はマスにはまったきれいな楷書で、もう一方は最後の「や」が半紙からはみ出た、墨のしたたる書き殴りだった。

「同じことが書いてありますが、どちらのほうが『勝ちたい』気持ちが伝わりますか?」

それは殴り書きのほうだった。マスもバランスも関係なくて、そこにあるのは強さと勢いだった。

「書の価値は、美しさや読みやすさだけではありません。

伝えたいことを筆に込めてください。」

成績の書道から、表現の書道へ

今までずっと学校では、書き順を守ってきれいに書く練習をさせてきじゃないか。

急に書に自分の想いを入れる、きれいかどうかはどうでもいい、なとと言われて私は戸惑った。

書に入れたい想いが一体どういうものか、もはや分からなかった。

それでも週2回の書道で何枚も何枚も書くうちに、自分がどんな字が好きなのか少しずつわかってきた。

憧れの先輩の姿を思い出しながら先輩の名前を書いてみた。

ちょっと違うなとか、こんな感じかなとか、これなら納得だなとか、自分の書いたものに想いが載っていることに気付く。

当たり前だけど、表現は、やってみないとできない。

「書くこと」が、表現であれ

いしかわゆきさんの「書く習慣」を読んで、そんな書道の経験を思い出した。

私たちは学校で作文やレポートや論文の書き方をこれでもかと教わってきたが、ゆきさんは「そんなことはもう気にするな」と教えてくれる。

文章は点数をとるものではなく、自己表現であっていいはずだ。

今こそ「お手本」「雛形」を破るときだ。

きれいじゃなくていい、評価基準に合わせなくていい。

自分の本音を文章にすること。

そこに価値が置かれる時代が来ている。

うまく書けないと思っていても、誰かにとっては100点の文章かもしれない。

せっかく書いて夜に出して、いいねがつかなくても、読んでる人は読んでいる。

人はきれいな読みやすい文章より、あなたの本音にぐっと来るのだ。

表現力として

私は人の文字離れをとても懸念している。

今は文字が読めても文章を理解できない、読解力の低い子どもが増えているそうだ。

だからこそ、私たちはもっと書くべきだと思う。

書くことは表現で、対話で、かけがえのないものだから。

ゆきさんは書くことを、もっと身近にしていいということを教えてくれた。

私はフリーランスを目指す副業ライターで、イイライターになるには?を考えがちだけど、正解にこだわらずに、まず自分の本音を書くことを大切にしていきたいと思った。

書くことは点数でも商業でもある前に、表現であるべきだ。それを忘れずに、書いていこう。

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