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《香、心.》

 香りと記憶。その結びつきにはっとさせられること、皆さまもおありでしょうか。お出汁のいい匂いにおなかが自然と鳴っていたり、懐かしい人の香水の香りに思わずどきっとさせられたり、と。

 さて、今年も金木犀の季節がやってまいりました。そのお上品で瑞々しい香りに、毎年のことながら、ずいぶんと浮かれてしまうのです。

 お茶のお稽古に向かう道中も、足取りはやはり軽やかで。お稽古場に到着し、お掃除、お道具の運び出しなどの準備をしながらも香りは豊かに感じられます。窓をたっぷり開けたお茶室の風通しがあまりに良いからでしょう。なんとも贅沢なお稽古になりそうな予感です。


 「ちょっと調子が悪くて。」お着物姿しかみたことのない先生が、お洋服でいらしたのは、そんな麗かな秋の日でした。体が痛くて、お着物を着られなかったそうなのです。疲れ知らずにみえていた先生ですが、毎回のお稽古にはその季節に合わせたお道具を車いっぱいに積んできてくださって、お茶を学びに日帰りで京都へいらして、ご自宅では娘さん家族の面倒をみられるような日々を送っていらしたことが、さすがの先生のお体にもこたえたよう。

 それでも、お稽古をしてくださること。ありがたくて仕方がないのです。先生にこれ以上負担をかけてはいけない、早くお点前(お抹茶の点て方)を覚えなくちゃ、と焦る気持ちがわたしの中にも芽生えます。

 いつもは朝から夕方四時まである長丁場のお稽古。お昼を過ぎると、先輩方が「そろそろ終わりにしましょう。」と、片づけを始めました。新米のわたしはこれに従い、テーブルや椅子を畳んでいると、こっそり「先生のを先に片付けちゃいましょう。帰られてからお稽古しましょうね。」と先輩に言われます。慌てて、お稽古場に備え付けてあるものの片づけをやめ、先生が持っていらしたお茶碗をしまうことに取りかかります。

 初めてお稽古場に洋服でいらし、さらに椅子に寄りかかりながら教えられていた先生。今日は早く帰してあげたい。先輩方の先生を想われるお気持ちがわたしの心にもつよく響いて。急ぎ駐車場の先生の車までお道具を運び、お大事にと先生とここでさよならをします。

 そして自主練が始まりました。ゲームのようなお茶席の練習。ルールが複雑で、実はわたしにはそれがほとんどわからないのです。先輩方が手順を確認しながら進められていくのを聞きながら、片づけの続きをしていると、「まなさんもおいで。」と先輩方が呼んでくださいました。わたしに席をゆずり、その上で隣について解説をしながら、教えてくださった一人の大先輩。お稽古をされたかっただろうに、ありがたい...と思いながら、お言葉に静々と甘えます。召し上がるはずのお抹茶までゆずって下さって。


 金木犀香る穏やかな日。先輩方の大きな優しさ、爽やかな機転、やわらかな心遣いにふれ、こんなにも素晴らしい方々とお茶を学ぶことができ、幸せだなということをかみしめたのです。お茶室のお庭には、見上げて始めて橙色の確認できる、背の高い金木犀の木が一本ありました。この日のこと。これからもその香りとともに想い出すこととなりそうです。


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