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今日のYOGA。「処暑:35歳の壁/身体の”変化”と時間の使い方/自分のごきげんを取る」

昨年の11月からお休みしていた

「YOGA日記」を再開いたします。


出逢ってから8年目のヨガ。
日々続ける中で得た
気づきをつらつらと綴る日記です。

今回からは
二十四節気、七十二候にのせて
お届けしてまいります。


✴︎

処暑・しょしょ


【禾乃登 ・こくものすなわちみのる】
「9月2日~9月7日頃」


<9月2日>

35歳。

身体の「回復」の遅れ
感じる。

弱らせてしまった胃も、
痛めてしまったひざも、
寝不足の回らない頭も

30代前半までは
20代と大差はなかったように
感じるのに

「35」の壁を超えてから
治りがぐっと遅くなった。


これがぼんやりと恐れていた
「老い」の始まりかと

ポーズを取りながら感じていく。


それでもヨガに救われるのは
「ありのまま」でいいという
考えがあるから。

「ありのまま」を淡々と
受け入れる。

否定することなく
「あー、治りが遅くなっているな。」と
感じ取る。

それだけで、心は軽くなる。


ほんとうにこれは始まりに過ぎなくて
これからますます色々なところに
「不調」は出てくるのだと思う。

その度に、
「いや、わたしはまだまだ若い!」とか
「気のせいだ。」と否定するのではなく

「ここに不調を感じるな。」と
事実をそっと受け止めようと思った。


そして、よく寝て
無理はなるべくしないよう心がけようと。




<9月3日>

昨日感じた身体の「変化」。

これと付き合っていくためには
日々ヨガ(わたしの場合は)に励むことも
大切だなと感じている。

身体に「筋力」と「柔軟性」と
たくわえておく


それらの変化に少しは
備えられる気がするのだ。


心にも「安心感」が芽生える。


すでに歯磨きくらいの
習慣になっているヨガだけれど

ますます優先順位を高くして
時間を確保し取り組んで
いきたいなと思う。


そう考えると
年を重ねる中では
「必要ないこと」に使える時間というのは
どんどん減っていくのかもしれない。

「健康」を保つために
時間を使うことが

やりたいことをやるとか
行きたいところに行くとか
生き生きとした日々を送るといった

「幸せ」に直結していくようなので。


2024年の気配も
わずかにしてきたこの頃。

生活を見直して
新しい年を迎えたいなという思いが
心に浮かぶ。



<9月4日>

お昼。

「今だ!」とヨガを始める。

このタイミングを逃してしまったら
今日はできないところだった。


「必要ないこと」はだんだん
できなくなっていくのかもと
思った昨日だけれど

タイミングを逃す時によくしてしまう
「迷うこと」
もその一つなのかもしれない。


「今ヨガしたいなー。
でも今より、夕方の方が時間取れるから
今はやめておこうかな。」

と「ヨガしたい気持ち」を
喉もとに引っかけたまま
家の中をうろうろして

優先順位の低いことに手をつけてしまう。

そんなことが
わたしにはよくある。


そうか、これもやめたいことの一つだなと
気づかされる。

その代わりに
「健康」でいるため行ない
時間を使ったほうがよりよい年齢に
差しかかっているようなので。




<9月5日>

久しぶりにした
「ブリッジポーズ(上向きの弓のポーズ)」。

これがすごく気持ちよかった。

肋骨一本一本の間が伸び
身体の中が「換気」されていくような
感じがした。


これにつられ、
心も晴れやかになる。

身体に心を上向きに
ひっぱってもらうこと


この自分の「ごきげんの取り方」が
わたしはやっぱり好きだなと思った。




<9月6日>

祖母を無事にデイサービスに送り出し
マットに座る。

目覚ましに起こされ、
朝ごはんを用意し、
祖母が食べるのを手伝う、
祖母の出かける支度をし、
その隙に自分も顔を洗い着替える

とバタバタとした後だから
すごく静かな感じがする。


祖母との時間も
もちろんすごく幸せなもの。

その対局にあるような
この一人の時間にも幸せを感じる。

どちらも大切にしたいなと思う
秋の朝だ。




<9月7日>

茶道のお稽古の前。

25分ほどヨガを。

体側(身体の側面)の伸びる
ポーズの連なる「月の礼拝」を一往復。

出ていたおしりが引っ込み、
上がっていた肩がすっとおりる。

いい姿勢で着物を着られることに嬉しくなる。


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