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《始、涼.》

 小さな憧れ。これに手が届く瞬間というのは、いつだって嬉しい。

 わたしにとってのそれは、夏に風鈴を飾ることだった。あの透き通るような音色に、心地よさそうに風を受ける姿。その双方で「涼をとる」習慣そのものに憧れを抱いていたということもあるのかもしれない。

 
 夕暮れ時の浅草。賑やかな街並みをくぐり抜け、浅草寺へと向かう。前回の訪問から10年も経っているせいか、まるで初めての場所みたいに感じられるなと旅行者のごとく商店街を見回していると、歩く道はいつのまにかほんのり明るい屋台の並ぶ境内のそれとなっていた。

 さらに歩みを進める。一面、朱色の広がる本堂の前に出た。この日は「ほおずき市」が開催されていたのだ。これが開かれるのは、年に2日間(7月9日と10日)。四万六千日(しまんろくせんにち)の縁日の時に限られる。この日にお参りすると、文字どおり4万6千日分(約126年なので、一生分以上!)の御利益があると言われているから、運が良かった。

 ほおずきがこの時に合わせ売られるようになったのには、その実を飲むと病が治るという信仰があったことに加え、東京のお盆と時期を近くしているため、御供物としてこれを人々が求めることに由来しているらしい。


 さて、わたしはこのほおずき市で、念願の「風鈴」を手に入れることとなる。経緯はこのようだった。ほおずきの屋台は、小ぶりな籠で売るところ、大ぶりな枝で売るところ、鉢で売るところと分かれていたり、いなかったりする。そして、この鉢にはもれなく風鈴がついていた。

 「風鈴だけ売っているところあったらいいのになぁ。」と鉢を育てられる環境にないことを少々申し訳なく思いながら、ぼんやり屋台を眺め歩いていると「お一ついかがですか?」と声をかけられた。声の主は、鉢でほおずきを売る露店にいた高校生といった雰囲気の女の子だ。思わず足を止めてしまう。

 「風鈴素敵ですね。」と、風鈴がほしいことをやんわり伝えてみる。すると、風鈴だけでもいいですよ、と快くおっしゃってくださった。(うんと歳下の方に気を遣わせてしまった。かたじけない。)ひまわり、あやめ、だるま、金魚、どの柄にしようかなと迷っていると「花火もあるわよ。」と奥に積む箱から一つを出してきてくれたのは、彼女のおばあちゃま。その関係がわかったのは「あたしに似ていい女でしょ。うちの孫。」と江戸っ子らしい調子で加えたからだった。

 まだまだ可愛いらしい女の子に見えたため、これから愉しみですね!と言ったけれど、大人に思われたい年頃の彼女にはちくっとする言葉だったかもしれないと反省したりもしながらも、迷うことなく花火柄の風鈴を買うことにした。

 今年の夏はかならず風鈴を飾りたいと思っていたところで、気に入った柄のものに出逢えた。その上、祖母と暮らすわたしには「もうやめようと思うのに、孫たちが手伝いにくるのよ。」と鼻高々にほおずき市の日のことを教えてくれるおばあちゃまの言葉があまりに愛おしく聞こえたのだ。

 そんなわけで手に入れた風鈴。黄色と赤と青で描かれた花火に、「浅草 ほおずき市」と書かれた黄色の札の下がるそれをさっそく窓辺に飾る。ずいぶん長く思われた静寂のあと、ようやく初音を聴かせてくれた。「おっ。」と嬉しくなる。風鈴のある夏がようやく始まった。

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