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「正しい」を選択できるか

『君子は義に喩り、小人は利に喩る。』(くんしはぎにさとり、しょうじんはりにさとる。)

君子はそれが正しいか、正しくないかで物事を判断するが、小人は利益があるかないかですべてのことを判断する」

これを読んでドキッとした人はそういないと思います。なぜならこの記事まで辿り着く人は君子のような志を持っている方が多いからです。しかしながら世の中は全く反対の大人ばかりいるようです。例えば私が住んでいる県の県議会議員は公設秘書が買収罪などで起訴され、議員も公職選挙法違反の罪に問われています。私はそのような人を「小人」と思うようにしています。

ここで大切なのは、「小人」のような人間ばかりフォーカスするのではなく、自分が「君子」であるかどうかを日頃から問うことです。

人生には迷いや悩みがたくさんあります。どんなに立派な人でも、元気いっぱいの人でも、自信に満ち溢れているような人でも、迷いのない人などいません。人生は決断の連続です。決断しなければいけない時、たったひとつの道を選ばなければならない時、その判断基準を持っていますか、と問われているように感じます。

正しいか正しくないかで選ぶ。分かっている当たり前のことでも実行するのは簡単なことではないでしょう。人は目の前の楽しみや贅沢、大きな成功や利益に弱いものです。ちょっとくらい義理を欠いても大きな利益が得られるなら義は後回しにしてしまおう、わたしたちの日常にはこんな場面が多くあります。

ではどうすれな君子のような志を持つことが出来るのでしょう。

とても簡単です。誠実に、正直に日々生きることであろうと思います。心を磨き、曇りを取り、嘘偽りない瞳を持つ努力をすることです。そしてこの心を持って誰のために何が出来るか考えることです。わたしたちは子どもたちに、そのように生きなさいと教えているはずです。

お金がもらえるから貢献しているのか、貢献していたらお金がもらえるようになったのか、それを自分に問えばよいだけです。

私は今、思いもよらぬ仕事が増えています。Zoomを使ったオンラインの授業や活動をSNSで発信していたのですが、それを見た講師業の先生が教えてほしいと直接メールしてきました。私は困ってるならと、快くお引き受けしました。今コロナの影響でお仕事が激減している中、新しい形で活動を模索されていたようで、講師料を払うと言っていただきました。

当日、2時間ちょっとお話や講習をして、たくさんの感謝のお言葉を頂いた後、講師料をお出しになろうとしたので、私はいただきませんでした。そんなことよりも、今後どのように先生が活動できるかご協力させてくださいとお願いをしました。いつか先生が新しい活動ができるようになった時に、お互いの強みを更に活かして協力しましょう!というお話になりました。

私の周りにはほかにもフリーランスの講師の方がいらっしゃいます。そんな困っている先生方のためにzoomのサポートや、動画撮影・編集でPR活動のお手伝いをしようと機材を揃え準備をしています。

お金になるかどうかは知りません。困っている人のために寄り添い、それに対して社会的価値があると判断していただいた時がその時なのだと。

孔子先生のお話は、今も昔も人は変わらぬのだと教えてくださっているようで、そこには人の本質が常に問われているということだと思います。